下記続き。
写真は Google Arts & Culture にアップされているものから適当に数枚ずつ選んでリンクし、スカラ座アーカイヴの当該公演資料へのリンクも掲載した。そちらで各公演タイトルをクリックすると演奏会データが表示され、さらに、その右上、小さな赤字 “Item” クリックで公演告知や写真などへのリンクが表示される。
この存在は存じませんでした。時系列順に紹介するつもりだったのだが、まずはチェリのこちらから。
CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE/BRAHMS
下記の1962年10月3日、ならびに4日の定期演奏会、ピアノ協奏曲第二番と交響曲第二番のブラームス・プログラム。
たがいへの言及が何か残ってたでしょうか。岩城氏によれば、1967年のロワイヤン現代音楽祭でリヒテルとバルトーク二番で共演した際には、まだ駆け出しだった氏のレコードをわざわざモスクワに取り寄せ(て研究した上で)、貴殿に合わせるからというようなことを述べて *1 オケとのリハ前/後の確認作業に何時間も付き合わされたと *2 。このときリヒテルは一日三時間のオケとのリハにも九日を要求したらしい。練習に関してはチェリビダッケもつとに有名で。
リヒテルは二年前に西側での演奏を許可されたばかり。前の週1962年9月24日 - 26日にはウィーンで DG にカラヤン指揮ウィーン交響楽団とチャイコフスキー/ピアノ協奏曲第一番をレコーディングしている。写真はリハと公演後バックステージのみの模様。
上着を脱いで。
(別の日か)ノーネクタイ & シャツが変わっている。
なごやかそうです。
スカラ座総裁アントニオ・ギリンゲリ(らしい)と笑顔で握手。
CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE
こちらも存じませんでした。下記の1960年6月20日、ならびに21日、定期演奏会。演目はブラームス『悲劇的序曲』、ショパン/ピアノ協奏曲第一番、シベリウス/交響曲第二番。
ポリーニはこの年二月三月の第六回ショパン・コンクールでセンセーションを巻き起こし、四月には EMI に同コンクールや、ここでも演奏しているコンチェルトを録音したばかり。ポリーニにせよリヒテルにせよスカラ座はオーケストラも手を回すのがなかなか早い(前者は地元ということもあり、それ以前からスケジュール決まっていたようにもおもわれますが)。この後ポリーニは国外での活動を控え、ミケランジェリに師事したりしてたんですな。
リハの様子。artsandculture.google.com
万来の拍手。artsandculture.google.com
オケからも祝福、満足げなご両人。artsandculture.google.com
貴賓席へご挨拶?artsandculture.google.com
なお、下記タイトルが同じためか、上掲は同じシーズンの10月1日・3日定期演奏会のデータが同時に抽出される。演目はベートーヴェン『田園』、プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第三番、ヤナーチェク『シンフォニエッタ』。こちらの写真は無い模様。下記は10月1日分の告知。
CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE
Wikipedia 日本語版には、ワイセンベルクもこの時期1956年から約10年間、研鑽のため演奏会から身を引いていたとあるのだが、リサイタルから、ということか *3 。チェリビダッケとは1951年に始まり69年まで各地で共演 *4 。最後の共演とみられる1969年の公演はスカラ座で、10月2日・3日・4日の定期演奏会。また、チェリビダッケは先のリヒテルとの演奏会(1962年)のシーズンまで 1956-1957 、1957-1958 シーズンを除き毎年スカラ座オーケストラに客演していたのだが *5 、この69年の公演はそれ以来となり七年ぶり、かつ、最後のスカラ座での公演/オーケストラ客演となった模様。スカラ座アーカイヴ(下記)にはリハでの写真がアップされているが、ワイセンベルクの姿は見えない。
CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE
続いて、前記事でちらっと触れたカラヤンのベルリン芸術週間への登場の五日後、1954年9月28日(下記)、および29日の定期演奏会。演目はラヴェル『道化師の朝の歌』、マルタン/ヴァイオリン協奏曲、チャイコフスキー『悲愴』。
シゲティとチェリビダッケの共演はこのときのみ。アーカイヴの公演データにマルタンのコンチェルトはミラノ初演とある。この曲はシゲティに献呈されたらしい。写真はバックステージのみ。
歓談中。
にっこり写真に収まる。
上掲こちらも、同タイトルで同一シーズンの別公演がいっしょに抽出されている。翌10月の27日・28日、定期演奏会。前記事で取り上げたカラヤン/フィルハーモニア管弦楽団スカラ座公演の数日後のコンサート。演目はミヨー『フランス組曲』、ドヴォルザーク/チェロ協奏曲、シューベルト/交響曲第九番(七番表記)『グレート』。チェロ独奏はピアティゴルスキーで、チェリビダッケとの共演はこのときのみ。写真は無い模様。公演告知の方も掲載ページは存在するが中身がブランク。
以下年代順で。
CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE
こちらも前記事で少し触れた、チェリビダッケのスカラ座デビュー公演。1953年10月23日(下記)および24日、定期演奏会。演目はラヴェル『クープランの墓』、メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲、ブラームス/交響曲第一番。ヴァイオリン独奏はジョコンダ・デ・ヴィート。こちらもチェリとの共演はこのときのみ。
袖に引っ込むシーンのよう。カメラを向けられ(?)笑顔。
続いて翌 1954-1955 シーズン。ソリストにイダ・ヘンデル。
CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE
下記1955年10月11日、および12日、定期演奏会。レスピーギ『古風な舞曲とアリア』 第三組曲、シベリウス/ヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチ/交響曲第五番。手書きで10日月曜のミスプリが11日火曜に訂正されている。
写真なし。イダとチェリビダッケは二年前の1953年、三月にロンドン交響楽団とブラームス/ヴァイオリン協奏曲を EMI に録音、この後もスウェーデン放送交響楽団と等、何度かコンサートで共演している。
次はいくつか飛ばして 1957-1958 シーズン。
CONCERTO ORCH. SINFONICA RADIO DI COLONIA
1958年10月19日(下記)および20日、ケルン放送交響楽団を率い公演。演目はメンデルスゾーン『夏の夜の夢』序曲、シューベルト/交響曲第二番、ヒンデミット『ウェーバーの主題による交響的変容』、『ダフニスとクロエ』第二組曲。写真なし。
続いて翌 1958-1959 シーズンのプログラムから。
CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE/BEETHOVEN
1959年9月25日(下記)、および26日・30日、定期演奏会。ベートーヴェン第二、第九交響曲。ソリストには、アグネス・ギーベル、マルガ・ヘフゲン、ペートゥル・ミュンテアヌー、ラファエル・アリエ。女声のコンビとはデンマーク王立管弦楽団などででも共演している。
写真は演奏会から *6 。
artsandculture.google.com
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写真ありの公演含め、ほかにもアップされているがここらで割愛。
なお、いささか下世話な話題になり恐縮ですが、転載した告知をみるに、いずれも 3,000 または 3,500 リラから 200 リラの料金で(1953年から1962年の十年に渡ってもいるが)違いはない。ちなみに前回紹介した1954年のカラヤン/フィルハーモニア管も 3,000 から 200 リラ。ただしツアー公演・ソリストなしだが、こちらでのケルン放送響も同条件。
(というわけでカラヤンにつづく)
*1:岩城宏之『棒ふりのカフェテラス』。より正確にはちょっと違うのだが、興味深いエピソードが綴られているので未読の方は是非そちらで。
*2:コンチェルト演奏の在り方についての認識を改めさせられたとも(上掲書)。
*3:
英語版はサバティカル(研究休暇)を取っていた、としている。
*4:CeLIST 。共演データに関しては以下同様。
*5:1957-1958 シーズンはケルン放送交響楽団との演奏会をスカラ座で行なっている(後述)。
*6:最初にリハ写真もアップされているが、コントラバスが左後ろ(しも手)の両翼配置ぽく、アレっとなった。しかしよくみると指揮者も白髪で別人のようである。別公演からの混入か。