dancept2の日記

あやしうこそものぐるほしけれ

ブリティッシュ・パテの古いオーケストラ映像から(番外編)

下記番外編。検索に出てきたがテーマから外れるので見送った動画から。イヴォンヌ・ルフェビュールやメニューイン兄妹、ルービンシュタインなど。ほかにも個別に検索すればいろいろありそう。パテのサイトはボツになった未公開映像もアップされているようなのだが、まだ眠っている映像もあるかもしれない(?)。

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今回も(同タイトルで)YouTube にアップされていればそちらを埋め込みで使用している。なお、パテのサイトはタイトル末尾の年を含めるとサイト内検索に引っ掛からないようだ(各動画ページのタイトルの年はリンクになっている)。

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Time To Remember - Edwardian Summer 1905 - 1910 - Record A - Reel 1 (1902)

『タイム・トゥ・リメンバー – エドワード朝の夏 1905年~1910年』というシリーズから。

1分34秒過ぎからレコード盤が登場、無造作に蓄音機にセット。レーベルに "Messters Projection G.m.b.H. Berlin SW, 48" と読める。オスカー・メスター(Oskar Messter, 1866 – 1943)はドイツ映画創世期の大立者らしい(Wikipedia 英語版)。蓄音機をフィルムとシンクロさせる初期トーキー映画の再生の様子(『オテロ』?)、1905年ごろとナレーション。

その後「エレクトリック・パレス」のイルミネーション点滅の後、ヴァイオリン、ピアノ、ドラムスの女性トリオが映画館で伴奏を付けている様子が流れる。ピアニストが指示を出しているが、お茶を飲みながら演奏。シリーズ続きの動画がアップされているが、この映像はそちらでも使いまわされている。

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なお、タイトルに "1905 - 1910" としている上に "(1902)" となっている(パテのサイトの説明記事欄「発行日(ISSUE DATE)」にも "1902" )。ナレーションも「1905年ごろ」としており、"(1905)" の誤りか。下記の続きの動画にも "(1905)" とある。

Time To Remember - Edwardian Summer 1905 - 1910 - Record D - Reel 1 (1905)

続きの動画から "Record D" 。3分過ぎ、上記使いまわしショットからヨットの上映シーンを経て、漁船がロシア海軍に攻撃されたニュースになっている。日露戦争で極東に向かうバルチック艦隊の「ドッガーバンク事件(Dogger Bank incident)」ですね。1904年10月(Wikipedia 日本語版 によれば英国世論が激高とある)。ライト兄弟の飛行や、F1 の前身ということになるんでしょうか国別対抗自動車レース「ゴードン・ベネット・カップ(Gordon Bennett Cup)」のレースシーンも登場。

なお、こちらにおいては "1905 - 1910" としながらドッガーバンク事件は1904年なのはともかく(「発行日」およびタイトル末尾は "1905" )、冒頭に(セオドアでなく)フランクリン・ルーズベルト夫妻の映像が入っている。このシリーズ、タイトルや懐古調の構成、トーキーなのを含め、後年、編集・配給されたものなのだろうが、「発行日」にも "1905" というのは?。

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下記 "Record E - Reel 2" の動画には F・ルーズベルト夫妻の映像はなく、上記ドッガーバンク事件やゴードン・ベネット・カップなどを収録しての "(1905)" 。

Time To Remember - Edwardian Summer 1905 - 1910 - Record E - Reel 2 (1905)

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Tonight In Britain - USA Version - Reel 1 1953

音楽に戻って、4分43秒からアイリーン・ジョイスのピアノ。ショパン、ワルツ第14番、ロイヤル・フェスティバル・ホール。

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Birth Of A Record 1955

冒頭、「デンマーク・ストリート(Denmark Street)」(ロンドン、ホルボーン地区)の標識に続き、楽譜が並ぶ店のウィンドウ。「ロンドンのティン・パン・アレー」と紹介している。2分41秒から、ロンドン、セントジョンズウッドの EMI スタジオでのレコーディング風景。当時の機材やスタジオの様子を垣間見ることができる。

歌い手のルビー・マーレイ(Ruby Murray)は、この年「ソフトリー・ソフトリー(Softly, Softly)」が英国チャート一位になったほか、同一週のトップ20に五曲を送り込むというチャート記録を打ち立てている(Wikipedia 英語版)。曲は「バンビーノ」。ヴォーカルと同時収録の体で(?)伴奏オーケストラ(の姿は見えない)を指揮するレイ・マーティン(Ray Martin)はウィーン出身らしい(Wikipedia 英語版)。ルビーが歌い終えると(アウトロの演奏は続いているのだが)「グッジョ!」とにっこりサムズアップ。パテのサイト「発行日」1955年5月16日。

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Ruby Murray with Ray Martin and His Orchestra: "Bambino" の動画が YouTube にアップされていた。

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下記によれば "Evermore" とのカップリング、上掲 Wikipedia ルビーの記事によれば「エバーモア」はこの年チャート三位になった模様。

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Edinburgh Festival 1962

たびたび登場のエジンバラ・フェスティバル。1分3秒、音楽祭のチケット売り場の行列に続いて、フェスティバル芸術監督のハーウッド伯爵とショスタコーヴィチロストロポーヴィチガリーナ・ヴィシネフスカヤ夫妻、夫は後述の公演で共演とおもわれるロンドン交響楽団チェリストたちと握手。

帽子を被ってごきげんな(?)イヴォンヌ・ルフェビュールの練習シーン *1ドビュッシーのプレリュード「ミンストレル」。ピーター・ピアーズ、こちらもドビュッシー『月の光』。8月23日のロストロポーヴィチ夫妻 with チェロ・アンサンブルの公演告知ポスター——あとの日付とおもわれるその下側にはスヴャトスラフ・リヒテルと読める——と、ヴィラ=ロボス『ブラジル風バッハ』のリハーサル。ポーランド放送交響楽団とロンドン響の告知はオケ名のみ。

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Edinburgh Festival - Technicolor 1963

翌1963年。ヤーラ・メーナ(?)・メノン博士(Dr. Menon)のヴィーナ演奏(チェンバロ伴奏:ジョージ・マルコム)でバッハ「シチリアーノ」(フルートとチェンバロのためのソナタ第二番)などインド音楽等に続き、4分21秒、ジョン・オグドン、リスト『メフィスト・ワルツ』。前年に第二回チャイコフスキー国際コンクールアシュケナージと第一位を分け合ったばかり。続いてユーディー&ヘプシバ・メニューインベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第十番。

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The Mellotron 1965

メロトロンの紹介。出演している BBC の音楽番組のプレゼンター、エリック・ロビンソン(Eric Robinson)とマジシャンのデイビット・ニクソン(David Nixon)はメロトロンの販売会社設立に資金提供し *2 、後半演奏する——複雑・アナログな磁気テープのメカニズムが動作する様子が映し出される——ミュージシャンのジェフ・アンウィン(Geoff Unwin)がテレビなどでプロモーションを行なっていたということらしい *3 。ここでは、みんな大好き(?)ストリングス音は聴かれないようだ。説明記事:「メロトロンが六十年代のさまざまな素晴らしい音楽サウンドを生み出します」。

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Prague Music Festival 1966

その四」で紹介した1966年のプラハの春音楽祭。1分4秒からイヴリン・リアー(ピアノ:エリック・ヴェルバ)、続いてルービンシュタイン夫妻がプラハユダヤ人墓地を訪れるシーン。ブラームスのピアノ協奏曲第二番が流れ始め、3分47秒からルービンシュタインの演奏シーンに切り替わる。伴奏はノイマン指揮チェコスロバキア放送交響楽団

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(おわり)


*1:そういえば以前、下記の動画を発見した:「イヴォンヌ・ルフェビュール、シューマン...そしてコンサートでのあがり症」(英語字幕あり)。メンゲルベルクとのエピソードなども語っている。ほかにもイヴォンヌのマスタークラスの動画もけっこうアップされていた。

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*2:Wikipedia 英語版。指揮者、バンドリーダーのエリック・ロビンソンは、1960、63年、英国がホストとなったユーロビジョン・ソング・コンテスト音楽監督も務めたらしい。

*3:Wikipedia 英語版