dancept2の日記

あやしうこそものぐるほしけれ

スカラ座のアーカイヴから(その二:チェリビダッケ)

下記続き。

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写真は Google Arts & Culture にアップされているものから適当に数枚ずつ選んでリンクし、スカラ座アーカイヴの当該公演資料へのリンクも掲載した。そちらで各公演タイトルをクリックすると演奏会データが表示され、さらに、その右上、小さな赤字 “Item” クリックで公演告知や写真などへのリンクが表示される。

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この存在は存じませんでした。時系列順に紹介するつもりだったのだが、まずはチェリのこちらから。

CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE/BRAHMS

下記の1962年10月3日、ならびに4日の定期演奏会、ピアノ協奏曲第二番と交響曲第二番のブラームス・プログラム。

Playbill CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE/BRAHMS - Archivio La Scala

たがいへの言及が何か残ってたでしょうか。岩城氏によれば、1967年のロワイヤン現代音楽祭でリヒテルバルトーク二番で共演した際には、まだ駆け出しだった氏のレコードをわざわざモスクワに取り寄せ(て研究した上で)、貴殿に合わせるからというようなことを述べて *1 オケとのリハ前/後の確認作業に何時間も付き合わされたと *2 。このときリヒテルは一日三時間のオケとのリハにも九日を要求したらしい。練習に関してはチェリビダッケもつとに有名で。

リヒテルは二年前に西側での演奏を許可されたばかり。前の週1962年9月24日 - 26日にはウィーンで DG にカラヤン指揮ウィーン交響楽団チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第一番をレコーディングしている。写真はリハと公演後バックステージのみの模様。

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上着を脱いで。

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(別の日か)ノーネクタイ & シャツが変わっている。

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なごやかそうです。

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スカラ座総裁アントニオ・ギリンゲリ(らしい)と笑顔で握手。

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CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE

こちらも存じませんでした。下記の1960年6月20日、ならびに21日、定期演奏会。演目はブラームス『悲劇的序曲』、ショパン/ピアノ協奏曲第一番、シベリウス交響曲第二番。

Playbill CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE - Archivio La Scala

ポリーニはこの年二月三月の第六回ショパン・コンクールでセンセーションを巻き起こし、四月には EMI に同コンクールや、ここでも演奏しているコンチェルトを録音したばかり。ポリーニにせよリヒテルにせよスカラ座はオーケストラも手を回すのがなかなか早い(前者は地元ということもあり、それ以前からスケジュール決まっていたようにもおもわれますが)。この後ポリーニは国外での活動を控え、ミケランジェリに師事したりしてたんですな。

リハの様子。artsandculture.google.com

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万来の拍手。artsandculture.google.com

オケからも祝福、満足げなご両人。artsandculture.google.com

貴賓席へご挨拶?artsandculture.google.com

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なお、下記タイトルが同じためか、上掲は同じシーズンの10月1日・3日定期演奏会のデータが同時に抽出される。演目はベートーヴェン『田園』、プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第三番、ヤナーチェクシンフォニエッタ』。こちらの写真は無い模様。下記は10月1日分の告知。

CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE

Playbill CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE - Archivio La Scala

Wikipedia 日本語版には、ワイセンベルクもこの時期1956年から約10年間、研鑽のため演奏会から身を引いていたとあるのだが、リサイタルから、ということか *3チェリビダッケとは1951年に始まり69年まで各地で共演 *4 。最後の共演とみられる1969年の公演はスカラ座で、10月2日・3日・4日の定期演奏会。また、チェリビダッケは先のリヒテルとの演奏会(1962年)のシーズンまで 1956-1957 、1957-1958 シーズンを除き毎年スカラ座オーケストラに客演していたのだが *5 、この69年の公演はそれ以来となり七年ぶり、かつ、最後のスカラ座での公演/オーケストラ客演となった模様。スカラ座アーカイヴ(下記)にはリハでの写真がアップされているが、ワイセンベルクの姿は見えない。

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CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE

続いて、前記事でちらっと触れたカラヤンのベルリン芸術週間への登場の五日後、1954年9月28日(下記)、および29日の定期演奏会。演目はラヴェル『道化師の朝の歌』、マルタン/ヴァイオリン協奏曲、チャイコフスキー『悲愴』。

Playbill CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE - Archivio La Scala

シゲティチェリビダッケの共演はこのときのみ。アーカイヴの公演データにマルタンのコンチェルトはミラノ初演とある。この曲はシゲティに献呈されたらしい。写真はバックステージのみ。

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歓談中。

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にっこり写真に収まる。

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上掲こちらも、同タイトルで同一シーズンの別公演がいっしょに抽出されている。翌10月の27日・28日、定期演奏会。前記事で取り上げたカラヤンフィルハーモニア管弦楽団スカラ座公演の数日後のコンサート。演目はミヨー『フランス組曲』、ドヴォルザーク/チェロ協奏曲、シューベルト交響曲第九番(七番表記)『グレート』。チェロ独奏はピアティゴルスキーで、チェリビダッケとの共演はこのときのみ。写真は無い模様。公演告知の方も掲載ページは存在するが中身がブランク。

以下年代順で。

CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE

こちらも前記事で少し触れた、チェリビダッケスカラ座デビュー公演。1953年10月23日(下記)および24日、定期演奏会。演目はラヴェルクープランの墓』、メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲、ブラームス交響曲第一番。ヴァイオリン独奏はジョコンダ・デ・ヴィート。こちらもチェリとの共演はこのときのみ。

Playbill CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE - Archivio La Scala

袖に引っ込むシーンのよう。カメラを向けられ(?)笑顔。

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続いて翌 1954-1955 シーズン。ソリストにイダ・ヘンデル

CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE

下記1955年10月11日、および12日、定期演奏会レスピーギ『古風な舞曲とアリア』 第三組曲シベリウス/ヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチ交響曲第五番。手書きで10日月曜のミスプリが11日火曜に訂正されている。

Playbill CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE - Archivio La Scala

写真なし。イダとチェリビダッケは二年前の1953年、三月にロンドン交響楽団ブラームス/ヴァイオリン協奏曲を EMI に録音、この後もスウェーデン放送交響楽団と等、何度かコンサートで共演している。

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次はいくつか飛ばして 1957-1958 シーズン。

CONCERTO ORCH. SINFONICA RADIO DI COLONIA

1958年10月19日(下記)および20日、ケルン放送交響楽団を率い公演。演目はメンデルスゾーン『夏の夜の夢』序曲、シューベルト交響曲第二番、ヒンデミットウェーバーの主題による交響的変容』、『ダフニスとクロエ』第二組曲。写真なし。

Playbill CONCERTO ORCH. SINFONICA RADIO DI COLONIA - Archivio La Scala

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続いて翌 1958-1959 シーズンのプログラムから。

CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE/BEETHOVEN

1959年9月25日(下記)、および26日・30日、定期演奏会ベートーヴェン第二、第九交響曲ソリストには、アグネス・ギーベル、マルガ・ヘフゲン、ペートゥル・ミュンテアヌー、ラファエル・アリエ。女声のコンビとはデンマーク王立管弦楽団などででも共演している。

Playbill CONCERTO SERGIU CELIBIDACHE/BEETHOVEN - Archivio La Scala

写真は演奏会から *6 。 
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——

写真ありの公演含め、ほかにもアップされているがここらで割愛。

なお、いささか下世話な話題になり恐縮ですが、転載した告知をみるに、いずれも 3,000 または 3,500 リラから 200 リラの料金で(1953年から1962年の十年に渡ってもいるが)違いはない。ちなみに前回紹介した1954年のカラヤン/フィルハーモニア管も 3,000 から 200 リラ。ただしツアー公演・ソリストなしだが、こちらでのケルン放送響も同条件。

(というわけでカラヤンにつづく)


*1:岩城宏之『棒ふりのカフェテラス』。より正確にはちょっと違うのだが、興味深いエピソードが綴られているので未読の方は是非そちらで。

*2:コンチェルト演奏の在り方についての認識を改めさせられたとも(上掲書)。

*3:

ja.wikipedia.org

英語版はサバティカル(研究休暇)を取っていた、としている。

en.wikipedia.org

*4:CeLIST 。共演データに関しては以下同様。

www.bekkoame.ne.jp

*5:1957-1958 シーズンはケルン放送交響楽団との演奏会をスカラ座で行なっている(後述)。

*6:最初にリハ写真もアップされているが、コントラバスが左後ろ(しも手)の両翼配置ぽく、アレっとなった。しかしよくみると指揮者も白髪で別人のようである。別公演からの混入か。

スカラ座のアーカイヴから(その一:カラヤンとチェリビダッケ)

ちょっとびっくりしました。がっちりと握手の後、なごやかに談笑(?)。

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Google Arts & Culture にアップされていた。記事欄には二枚とも

Title: Concerto Herbert Von Karajan - Sinfonia N.5 In Do Min.
Season: 1953-1954
People: Sergiu Celibidache, Herbert Von Karajan
Credit: Erio Piccagliani

とあるのみ。このころカラヤンがミラノで第五をとり上げたコンサートを Eliette and Herbert von Karajan Institute[エリエット&ヘルベルト・フォン・カラヤン研究所]ウェブサイトのオンラインアーカイヴで探してみると、1954年10月23日・24日にフィルハーモニア管弦楽団とのコンサートの記録があった *1 *2 *3カラヤンの演奏会後、チェリビダッケが楽屋(?)を訪れたということか(写真二枚目の壁時計は23時25分を指しているものとおもわれ)。いっしょに写ってる美女は誰?(笑)。

掲載ページにリンクされているスカラ座公式サイトも調べてみると “L'Archivio StoricoHistorical Archive/ヒストリカル・アーカイヴ]” に、これまた膨大な量の資料があった。上掲写真もアップされており、“Category” に "BACKSTAGE " とある *4 。下記はその公演告知から10月23日分、定刻21時15分。

Playbill CONCERTO HERBERT VON KARAJAN - Archivio La Scala

以下妄想(笑)

「すばらしい演奏会でした。」

「ありがとう。来月ベルリンであなたのフィルハーモニカーとブル九を演奏しますので *5 聴きに来てください。」

「ぜひ。」

「あなたの」などと嫌みいってみさせたりして(笑)。微妙な時期ですね。フルトヴェングラーベルリン・フィル最後の演奏会となったのがこの年1954年の前月9月20日。すでにチェリビダッケベルリン・フィルフルトヴェングラーとの関係が悪化しており、イタリアでもさかんに客演していた。といいますか、この三日ないし四日後の10月27日および28日にはスカラ座オーケストラとのコンサートを行なっていた。左記も含め CeLIST によれば、チェリビダッケのスカラ・デビューは前年10月、ブラームス交響曲一番などのコンサート *6 。また、ウィーン交響楽団には1949年から何度か客演。

カラヤンの方も、前年九月に戦後初めてベルリン・フィルの指揮台に上がり、この年9月23日に再登場したばかり(いずれもベルリン芸術祭)。スカラ座をはじめとするイタリアのオケやウィーン響との関係も深く、両者(カラヤンとチェリ)はすでに旧知の間柄だったか。ウィーンといえば、このころカラヤンザルツブルク音楽祭のみならずウィーン・フィルと疎遠になっていたのもフルトヴェングラーの圧力があったためだったというようなことがあったような。カラヤンのスカラ・デビューは戦中の1940年、1948年からはドイツ・オペラ部門の監督。なお、この 1953-1954 シーズン、開幕公演(前年十二月)でデ・サバタが心臓疾患により降板し芸術監督に引き、音楽監督にはアシスタントを務めていたジュリーニが就任している。

チェリビダッケは翌月11月28日にドイツ連邦共和国功労大十字勲章を授与されているが、その翌29日がベルリン・フィルとの(戦後期)最後のコンサートとなった。フルトヴェングラーがバーデン=バーデンで亡くなったのがその翌日の11月30日。

——

(次回もスカラ座のアーカイヴからいくつかご紹介する)


*1:下記 “KONZERTE • 154” タブより。“154” は演奏回数。

www.discoverkarajan.com

*2:さすがというべきか膨大なデータが集められており、時代ごとの、演目やオケの変遷等いろいろ分析(?)できそう。ただし mapbox で地図が表示されるなど見栄えはいいものの集計してデータとして使うには使い勝手はあまりよくない(コピペは可能)。ちなみにカラヤンベートーヴェン交響曲公演回数は以下の順になっていた(カッコ内は放送含む録音)。最も少ない第八はその前の第二の約半分。

第五「運命」 154(31)
第七 129(22)
第六「田園」 104(22)
第三「英雄」 80(22)
第九「合唱」 77(26)
第四 76(25)
第一 49(12)
第二 43(13)
第八 22(13)

*3:
PhOコンサートツアー/ミラノ
プログラム
 • 歌劇『アナクレオン』序曲(ケルビーニ)
 • 『フランク・ブリッジの主題による変奏曲』Op.10(ブリテン
 • 『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』Op.28(R・シュトラウス
 • 交響曲第五番ハ短調 Op.67(ベートーヴェン

*4:ただし、本文後述の公演ポスターのように “L'Archivio Storico” の写真は全面ロゴ入り。

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*5:11月21日・22日、定期演奏会 B/4 。下記 “KONZERTE • 1523” タブより(すなわちベルリン・フィルとは1523回の演奏会)。

www.discoverkarajan.com

*6:

www.bekkoame.ne.jp

スカラ座のアーカイヴにも資料があった。カラヤンも含め、これらについてはまた別途。

アルゲリッチ久々のショパンのソナタ

いまさらですが、情報に疎く存じませんでした。このご時世ということで引き受けたのか、無観客ということで OK したのか、あるいはその両方だったのでしょうかソロ・リサイタル(やレコーディングも)期待したいですが…。

ハンブルク交響楽団が開催した「『大地の歌』をコラージュした」オンライン・コンサート・シリーズ »Die liebe Erde allüberall«(どこまでも愛しき地球/大地(?))*1 中、別途行なったルノー・カピュソンとのデュオ・コンサートで取り上げたらしい *2 。さすがに昔 DG に入れた録音のような常軌を逸したような感じは薄れ「まとも」になってますが、アルゲリッチ節は健在、より自然なアーティキュレーションで。

Chopin: Piano Sonata No. 3 in B minor Op. 58

2020年6月25日、ライスハレ(ハンブルク

www.vimeo.com

なおハンブルク響のサイトによれば、ことし2021年6月19日から30日まで開催されるアルゲリッチ・フェスティバル(がハンブルクでも開催されてるんですね昨年はコロナ禍により中止で第三回との由)では、ムターやピリス(引退したんじゃないんですかね)とも共演する模様 *3

昨年に戻ると、その後十月にはバッハのパルティータを披露していた。

J.S. Bach: Partita No. 2 in C minor, BWV 826

2020年10月13日、ゲルリッツ・シナゴーグ(ドイツ、ゲルリッツ/ラウジッツ・フェスティバル)

www.youtube.com

続いて26日、少なさそうだが観客も有りの模様。

(ditto)

2020年10月26日、メゾン・ド・ラ・ムジーク(スイス、マルティニー/「若きショパン[JEUNE CHOPIN]」国際ピアノコンクール・オープニングコンサート)

www.youtube.com

ついでに下記は2008年。

(ditto)

2008年7月22日、サル・メドラン(スイス、ヴェルビエ/ヴェルビエ音楽祭

www.youtube.com


DIY:浴室の蛍光灯交換

切れたので交換、樹脂製カバーが外れないんですよね。

湿気の侵入を防ぐためのゴムパッキンが固着しているらしい。ドライヤーを「強」にして周囲をぐるぐるっと熱し、すぐに反時計方向に回すとカパッと回った。

グロー球もかなり変色していたのでついでに交換。パッキンは…そのままで戻す。交換せずとも何か塗っとくといいんでしょうかね。

f:id:dancept1:20210504111048j:plainPanasonic LEDシーリングライト HH-SE0022N 取説より)


DIY:PC のケースファン交換(初心者向け)

十年選手の当方の PC 、ケースファンが HDD より先にお亡くなりになりました。自作派等の方々には常識になりますが表題のとおり、十年間開けたこともなかったケースを御開帳しての気づきなどを少々。

ケースファン

当然サイズが合ってないとタイヘンであります。これは実測(厚さは 25 mm が一般的なようですが、スペースがあるか入手前にケース開けるなりしないとわかんないですね)するなり調べるなり必要になる。ケースの外からでもファンに印字されている型番が読めるかも。なんにせよファンの型番をもとにするなどスペックをしらべて選ぶ。

kakaku.com

制御方式

f:id:dancept1:20210412162248j:plain

いまどきはケースファンも 4pin PWM(Pulse Width Modulation/パルス幅変調)制御でしょうか、当方のは 3pin(電圧制御のみ)。電源側に合わせて選ぶのが無難(遊ばせる pin さえ気を付けて差せば 3pin→4pin あるいは 4pin→3pin コネクタの物理的接続じたいは可能なようですが、電源側 3pin で基板に直接差す場合は、基板側に 4pin コネクタのスペースがあるかも注意。そうしたときでも変換ケーブル入れたりコネクタ交換という手もあるものの、そこまでするなら素直に制御方式の合ったファン入手した方がよさそう。コネクタの図は海外のオンラインストアよりお借りした *1 )。

作業準備

まずはケースを外す(笑)。が、ねじに加えて板金のツメで止まっていたりで、ケースによってはクセがあったりする。これは外すときよりも、交換後取り付けるとき戸惑ってケーブルを挟んだりするとイヤなので、外しながらどのように止まっているかかくにんしておこう(慎重)。おっと、まずは電源ケーブル、ほかケーブル類を外しておく。

清掃

開けますと、長年——不幸にもそうではなかった方は別として——積もりに積もったホコリを掃除となります。手にしていたドライバーで綿ボコリを払いたくなりますが金属はご法度、木の箸や耳かきなどを使いましょうか。

ファンの取り外し

取り外しはどうということはないが、直接基板からコネクタを抜く場合は差す向きを確かめておく。また、配置によってはコネクタを差す前にファンを取り付けてしまうと、スペース的にコネクタを差すのがタイヘンになることもあるかもしれない。ファンの表裏も気づくとはおもうがロゴの印刷やシールが貼ってある方が外(排気)側である。

コネクタ

当方は(延長ケーブルによる取り回しはなく)メインボードへ直接コネクタを差したのだが、となりの CPU ユニットが邪魔でけっこう難儀した。ジャマなパーツを外せばよいのだがそれも気持ち悪いしめんどう、鏡も入らないので細かい位置決めはほとんどカンある。指と、へんな体勢になり腕もつりそうになった。(ビニールテープ巻くなどで絶縁して)ピンセットか何かをつかえば楽だったのかも。位置が合えばスッと入るので、あせらず落ち着いて行なう。

ファンの取り付けネジ

ビス止めの場合、通常ファン側にはネジは切られておらずタッピングネジのよう(コストダウンと振動防止の意味もある?)。ボルト/ナットよりは作業はラクそうだが、それなりに力は必要。手を滑らせてガシャーンなどとやりたくないので、取り付け前にあらかじめ対角二か所の取り付け穴を少々ネジ切りしておくのもいいかも。買い替えたファン付属のネジは先端がとがっておらず位置決めし辛かったので、そのまま従来のものを使用した。

(この際 CPU ファンも交換してしまうのが良さそうでしたが、けっきょくそのまま。いつまで持ちますか)


*1:.ru ドメイン。日本語テキストも選べるが(サイト名に .cz が含まれているように)一部チェコ語(?)で表示されている。住所と連絡先の電話番号が提供されておらず「疑わしいサイト」との指摘もある模様。図解が多くて親切なんですが。

Windows10 更新プログラムがエラーとなってしまうときの Windows 更新インストールについて

昨年春、KB4540673 でしたでしょうか累積更新プログラムのインストール以降(とおもわれる)、エラーが発生し更新できずにおりました *1 。以下、下記を試み、いずれもダメだったケースであります([更新プログラムのチェック]を押すと、さんざん待たされた挙句ダウンロード以前の段階でコケる)。Windows 10 リリースバージョンは 1903 。

  1.  Windows Update の「トラブルシューティング」実行

  2.  当該およびそのひとつ前の更新プログラムのアンインストール

  3.  SFC および DISM でのシステムファイル修復

  4.  Windows Update コンポーネントの手動リセット

  5.  Microsoft の「Windows Update カタログ」からダウンロードしての累積更新プログラムの手動インストール(こちらではインストールが開始されて再起動にも至り、うまくいきそうな気配になるのだが、けっきょく「更新プログラムを構成できません」うんぬん→「元に戻しています」が始まる——これが不安な時間で(笑)。ただし、サービススタック更新プログラム(SSU)は手動インストール可能)

  6.  残された手は Windows の更新(上書き)インストール——あるいはクリーンインストールWindowsリカバリーだが、かんきょうの初期化は避けたい——となるが、上記の状態で「更新」インストールは動くのか、インストール不可はともかく、ズッコケて起動不能になったりしないか…?

そうこうしている間に2020年12月、リリースバージョン 1903 のサポートも終了。PC もいいかげん古いしなぁと考えていたところ、たまたま下記掲載のリンク先を発見、あっさり「更新」できてしまったのでご紹介(パソブルさんありがとう!——当方まわしものではありません)。

ちなみにこれも当方の勝手な思い込みで、USB メモリか DVD のインストールメディアを作成しなければ作業できないものとおもっていたのだが、下記のとおり(システム領域のドライブが手狭なためデータ用ドライブに)ダウンロードした ISO ファイルからのインストールも可能なのでありました。

以下いくつかおもいついた点を記していますが、お急ぎの方は飛ばしてその下のリンク先からどうぞ。

1. Rufus Portable による過去バージョン Windows のダウンロード

Microsoft の「Windows 10 のダウンロード」は「Update Assistant が最新バージョンの Windows 10 へのアップデートをお手伝いします」とあるとおり「最新バージョン」がインストールされる。まぁ普通はそうですわね。が、上のような状態では何度も再起動しながら最新バージョンまで一気に更新できるのか不安があった。が、フリーソフトの Rufus Portable を使用すれば旧バージョンの Windows のダウンロードが可能なので、更新(上書き)インストールならぬ上書きのインストールが可能ということなのだった。

ただし、Rufus PortableWindows ダウンロードの選択ボックスには当方の OS ビルド 18362.778 が無く、止む無くひとつ上の 18363.418(リリースバージョン 1909)を選択した *2 。このバージョンの ISO ファイル容量は 5,250,446 KB 。

www.pasoble.jp

2. ISO ファイルからの Windows インストール(バージョンアップ)

上掲のような経緯だったので当然下記推奨どおり選択。

大型アップデートの適用時に、ドライバーなどの更新プログラムをインストールすると、問題が発生する可能性が無いとは言えません。

Windows セットアップでの更新プログラムのダウンロード方法の変更」をクリックして「今は実行しない」を選択することを推薦します。

所要時間は当方の環境で40分くらいか。数回再起動が掛かった。

www.pasoble.jp

作業終了後、「Wndows Update」の画面を開いてみると作業前とあまり変化はない。試しに [更新プログラムのチェック] を押してみると——押して一瞬「しまった」とおもったものの…エラーもなく「Version 1909 の累積更新プログラム」がずらずらーと並び始めた。一年ぶりの光景であります(苦笑)*3 。また、「更新の履歴を表示する」の内容(Windows Update コンポーネントの手動リセット(前述の対策 4 )後実施して成功した SSU のインストール(同 5 )の記録)はクリアされていた *4


*1:エラーコード 0x80080005 、0x800705b4 など。ふだんスルーしていた「オプション更新」を思わず押してしまい、イヤな予感がしていたのであります…以下詳細省きますが Windows の復元ポイントからも戻せずで、同時にプリントスプーラーやらシステム情報(Windows Management Instrumentation)やらのサービスが起動不能となり、エクスプローラーが Windows 起動後の最初のアクセス時異常に遅くなるなどトラブル頻発、方々しらべて上記のサービス関係は復旧できたものの(コンポーネントの手動リセットを要した)、更新エラーとエクスプローラーは対処できないでおりました(とほほ)。これらも今回の処置で復旧した模様。

*2: PC の OS ビルドは(上述のとおり二本アンインストールしたが)更新プログラムがインストールされているためだとおもわれ。こうなると Microsoft の「Windows 10 のダウンロード」からでも、最初の更新インストール(ここでは 1909 への)さえ無事クリアされれば後続の更新インストールも上手く行くような気もしないではないですが、ここらへんの<リスク>をどう見るかはそれぞれで。ちなみに OS ビルド含めということでありましょう、(いずれにせよイレギュラー感は否めないものの)古いバージョンへは<更新>できない(らしい)。

*3:試していないが KB4517245 による Version 1903 に含まれている Version 1909 の機能有効化バージョンアップは上手く動いたかは疑問。

*4:なお、念のためバックアップは取ったのでしたが、今回の作業パターンでは C:\Users\...\AppData\Local\Windows Live 内の Windows Live Mail の保存データは元のままだった。

ブリティッシュ・パテの古いオーケストラ映像から(番外編)

下記番外編。検索に出てきたがテーマから外れるので見送った動画から。イヴォンヌ・ルフェビュールやメニューイン兄妹、ルービンシュタインなど。ほかにも個別に検索すればいろいろありそう。パテのサイトはボツになった未公開映像もアップされているようなのだが、まだ眠っている映像もあるかもしれない(?)。

dancept2.hatenablog.com

今回も(同タイトルで)YouTube にアップされていればそちらを埋め込みで使用している。なお、パテのサイトはタイトル末尾の年を含めるとサイト内検索に引っ掛からないようだ(各動画ページのタイトルの年はリンクになっている)。

www.britishpathe.com


Time To Remember - Edwardian Summer 1905 - 1910 - Record A - Reel 1 (1902)

『タイム・トゥ・リメンバー – エドワード朝の夏 1905年~1910年』というシリーズから。

1分34秒過ぎからレコード盤が登場、無造作に蓄音機にセット。レーベルに "Messters Projection G.m.b.H. Berlin SW, 48" と読める。オスカー・メスター(Oskar Messter, 1866 – 1943)はドイツ映画創世期の大立者らしい(Wikipedia 英語版)。蓄音機をフィルムとシンクロさせる初期トーキー映画の再生の様子(『オテロ』?)、1905年ごろとナレーション。

その後「エレクトリック・パレス」のイルミネーション点滅の後、ヴァイオリン、ピアノ、ドラムスの女性トリオが映画館で伴奏を付けている様子が流れる。ピアニストが指示を出しているが、お茶を飲みながら演奏。シリーズ続きの動画がアップされているが、この映像はそちらでも使いまわされている。

www.youtube.com

なお、タイトルに "1905 - 1910" としている上に "(1902)" となっている(パテのサイトの説明記事欄「発行日(ISSUE DATE)」にも "1902" )。ナレーションも「1905年ごろ」としており、"(1905)" の誤りか。下記の続きの動画にも "(1905)" とある。

Time To Remember - Edwardian Summer 1905 - 1910 - Record D - Reel 1 (1905)

続きの動画から "Record D" 。3分過ぎ、上記使いまわしショットからヨットの上映シーンを経て、漁船がロシア海軍に攻撃されたニュースになっている。日露戦争で極東に向かうバルチック艦隊の「ドッガーバンク事件(Dogger Bank incident)」ですね。1904年10月(Wikipedia 日本語版 によれば英国世論が激高とある)。ライト兄弟の飛行や、F1 の前身ということになるんでしょうか国別対抗自動車レース「ゴードン・ベネット・カップ(Gordon Bennett Cup)」のレースシーンも登場。

なお、こちらにおいては "1905 - 1910" としながらドッガーバンク事件は1904年なのはともかく(「発行日」およびタイトル末尾は "1905" )、冒頭に(セオドアでなく)フランクリン・ルーズベルト夫妻の映像が入っている。このシリーズ、タイトルや懐古調の構成、トーキーなのを含め、後年、編集・配給されたものなのだろうが、「発行日」にも "1905" というのは?。

www.youtube.com

下記 "Record E - Reel 2" の動画には F・ルーズベルト夫妻の映像はなく、上記ドッガーバンク事件やゴードン・ベネット・カップなどを収録しての "(1905)" 。

Time To Remember - Edwardian Summer 1905 - 1910 - Record E - Reel 2 (1905)

www.youtube.com

Tonight In Britain - USA Version - Reel 1 1953

音楽に戻って、4分43秒からアイリーン・ジョイスのピアノ。ショパン、ワルツ第14番、ロイヤル・フェスティバル・ホール。

www.britishpathe.com

Birth Of A Record 1955

冒頭、「デンマーク・ストリート(Denmark Street)」(ロンドン、ホルボーン地区)の標識に続き、楽譜が並ぶ店のウィンドウ。「ロンドンのティン・パン・アレー」と紹介している。2分41秒から、ロンドン、セントジョンズウッドの EMI スタジオでのレコーディング風景。当時の機材やスタジオの様子を垣間見ることができる。

歌い手のルビー・マーレイ(Ruby Murray)は、この年「ソフトリー・ソフトリー(Softly, Softly)」が英国チャート一位になったほか、同一週のトップ20に五曲を送り込むというチャート記録を打ち立てている(Wikipedia 英語版)。曲は「バンビーノ」。ヴォーカルと同時収録の体で(?)伴奏オーケストラ(の姿は見えない)を指揮するレイ・マーティン(Ray Martin)はウィーン出身らしい(Wikipedia 英語版)。ルビーが歌い終えると(アウトロの演奏は続いているのだが)「グッジョ!」とにっこりサムズアップ。パテのサイト「発行日」1955年5月16日。

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Ruby Murray with Ray Martin and His Orchestra: "Bambino" の動画が YouTube にアップされていた。

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下記によれば "Evermore" とのカップリング、上掲 Wikipedia ルビーの記事によれば「エバーモア」はこの年チャート三位になった模様。

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Edinburgh Festival 1962

たびたび登場のエジンバラ・フェスティバル。1分3秒、音楽祭のチケット売り場の行列に続いて、フェスティバル芸術監督のハーウッド伯爵とショスタコーヴィチロストロポーヴィチガリーナ・ヴィシネフスカヤ夫妻、夫は後述の公演で共演とおもわれるロンドン交響楽団チェリストたちと握手。

帽子を被ってごきげんな(?)イヴォンヌ・ルフェビュールの練習シーン *1ドビュッシーのプレリュード「ミンストレル」。ピーター・ピアーズ、こちらもドビュッシー『月の光』。8月23日のロストロポーヴィチ夫妻 with チェロ・アンサンブルの公演告知ポスター——あとの日付とおもわれるその下側にはスヴャトスラフ・リヒテルと読める——と、ヴィラ=ロボス『ブラジル風バッハ』のリハーサル。ポーランド放送交響楽団とロンドン響の告知はオケ名のみ。

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Edinburgh Festival - Technicolor 1963

翌1963年。ヤーラ・メーナ(?)・メノン博士(Dr. Menon)のヴィーナ演奏(チェンバロ伴奏:ジョージ・マルコム)でバッハ「シチリアーノ」(フルートとチェンバロのためのソナタ第二番)などインド音楽等に続き、4分21秒、ジョン・オグドン、リスト『メフィスト・ワルツ』。前年に第二回チャイコフスキー国際コンクールアシュケナージと第一位を分け合ったばかり。続いてユーディー&ヘプシバ・メニューインベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第十番。

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The Mellotron 1965

メロトロンの紹介。出演している BBC の音楽番組のプレゼンター、エリック・ロビンソン(Eric Robinson)とマジシャンのデイビット・ニクソン(David Nixon)はメロトロンの販売会社設立に資金提供し *2 、後半演奏する——複雑・アナログな磁気テープのメカニズムが動作する様子が映し出される——ミュージシャンのジェフ・アンウィン(Geoff Unwin)がテレビなどでプロモーションを行なっていたということらしい *3 。ここでは、みんな大好き(?)ストリングス音は聴かれないようだ。説明記事:「メロトロンが六十年代のさまざまな素晴らしい音楽サウンドを生み出します」。

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Prague Music Festival 1966

その四」で紹介した1966年のプラハの春音楽祭。1分4秒からイヴリン・リアー(ピアノ:エリック・ヴェルバ)、続いてルービンシュタイン夫妻がプラハユダヤ人墓地を訪れるシーン。ブラームスのピアノ協奏曲第二番が流れ始め、3分47秒からルービンシュタインの演奏シーンに切り替わる。伴奏はノイマン指揮チェコスロバキア放送交響楽団

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(おわり)


*1:そういえば以前、下記の動画を発見した:「イヴォンヌ・ルフェビュール、シューマン...そしてコンサートでのあがり症」(英語字幕あり)。メンゲルベルクとのエピソードなども語っている。ほかにもイヴォンヌのマスタークラスの動画もけっこうアップされていた。

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*2:Wikipedia 英語版。指揮者、バンドリーダーのエリック・ロビンソンは、1960、63年、英国がホストとなったユーロビジョン・ソング・コンテスト音楽監督も務めたらしい。

*3:Wikipedia 英語版