
M&A のボックスセット(Ⓟ 2011)との音質聴き比べ下記続き。
CD6 :九番(ベルリン・フィル/1950 年 1 月 30 日)
28 日(さいしょの方に航空機の飛行音)ではなく、30 日の有観客の方。このときが戦後クナのベルリン・フィル復帰公演シリーズということらしい。クラウス・ラング(著)『チェリビダッケとフルトヴェングラー : 戦後のベルリン・フィルをめぐる2人の葛藤』(音楽之友社、1990 年)によれば、オケ側とは 1947 年に復帰し「長期契約」を結ぶというプランも進められていた模様。同書では、非ナチ化裁判絡みでのクナの言動に激怒したフルトヴェングラーが不快感を示したためこれは「保留」になったと(仄めか?)されている *1 。
もとの手持ちは上掲「その四」の八番同様、アウディーテの『クナッパーツブッシュ& BPO/RIAS 録音集 1950-1952』セット(Ⓟ 2010)より *2 。
コンテンツラウドネス(content loudness)は M&A が -14.4 dB 、アウディーテは -14.3 dB と、今回は、ほぼ同じ *3 。CD での聴感上もそのような印象。
音質は、今回も当方的には、M&A も「オリジナル・マスターテープ」使用のアウディーテに遜色なく感じられる。
なお、冒頭、アウディーテ盤では 6 秒、22 秒あたりでドンっと何かが当たるような会場ノイズが、静かな《ブルックナー開始》のなかそれなりに派手に響く。よく聴くとそのあと 41 秒あたりでも弦がクレッシェンドする直前、最後のトランペットの合いの手に重なって音がする。これがいずれも、M&A 盤では聴こえない。アウディーテ盤 27 秒あたりの咳も無いようだ——ノイズ除去と言えばアウディーテの得意技(?)かと思いきや。
もしや、別マイクで収録の別ライン音源?、などと想像逞しくしたりして。あるいは正反対に、アウディーテ盤を加工? 前回と矛盾するようだが、といいますかこの程度のノイズは当方的にはさして気にならず「修正」は不要。が、これを理由にアウディーテ盤を取るというほどでもなし、というところ。
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以上、四十年代から五十年代の、生きの良いクナが聴ける貴重なボックスでございました(そのぶん音質的には苦しくなりますが)。そのような方針で旧版 *4 の NDR との三番(1962 年)は差し替えられたのでろうか、結果、ベルリン・フィル中心のセットということに。今回の九番もだが、弦の濃厚なポルタメントもそこここで耳を引いた。いっぽうでこの頃は下記のような状況もあったようですが、どうしてどうして強力な演奏が楽しめたセットでした。
高度な教育をまったく受けたことのない音楽家も含まれていました。ナチ時代に入って優秀な教師がいなくなり、次に戦争が始まって、あとに続くべき多くの若手音楽家が前線に駆りだされ、音楽を学ぶ時間などなかったのですから! 当時のベルリン・フィルでは、正確なリズムがきちんと守られているとは言えませんでした。
〔オーレル・ニコレ *5 〕
兵役も免除され数々の特権を得ていた帝国・帝都第一のオーケストラにしてこの状況だったのですから、ほかのオーケストラは推して知るべし、ではあるのですが。優秀な団員の補充などままならない状況だったことは想像に難くないとはいえ——ベルリン・フィルではとりわけ目立つ状態にあったということか:
RO: 戦後、オーケストラは困難な時期を経験し、あなた自身もその過渡期に指揮者を引き継ぎました。しかし、1960 年代初頭にはオーケストラはまるで生まれ変わったかのようでした。
HK: 私が引き継いだとき、どこに欠陥があるのか正確に把握していました。そして、おっしゃる通り、多くの奏者が引退の時期を迎えようとしていた過渡期でした。六年で我々は完全に若返りました。
〔リチャード・オズボーンによるカラヤンのインタビュー *6 〕
「欠陥(deficiencies)」。とはいえ「引退の時期を迎えようとしていた」とだけ言っておくのはカラヤンらしい慎重な言い回し、などというのはうがった見方か(笑)*7 。今回のボックスセットは(主に)この「過渡期」のベルリン・フィルのサウンドを捉えていたということになる。元コンマスのブランディスもカラヤンの証言を裏付け:
ブランディス:〔……〕1959年から61年まではハンブルク交響楽団、62年からベルリン・フィルのコンサートマスターになりました。
――昔のベルリン・フィルと今のベルリン・フィルとでは違いますか?
ブランディス:違いますね。1960年代初めのベルリン・フィルは、若い人がたくさんいるオケだったのです。私は26歳で入団しましたが、それでも若い方から3番目でした。
〔林田直樹によるトーマス・ブランディスのインタビュー *8 〕
この時期のベルリン・フィル(のシェフ)については以前、下記からの記事で触れていて、
戦後の非ナチ化政策下におけるベルリン・フィルの指揮者選定に関しても上掲や前述ラングの著作で(とうぜん)扱われているが、その当時のミュンヘンにおける状況を含む論文を見つけたのでご紹介したい。クナは非ナチ化裁判に訴追され活動禁止となる前に、ナチに追われる以前の本拠地ミュンヘンで指揮活動を再開していた。
(「番外編」へ続く)
*1:ご立腹の経緯については下記参照。
楽団の理事のひとりで、フルトヴェングラーが「厚い信頼を置いていた」ヴァイオリン奏者フリッツ・ペパーミュラー宛の手紙で怒りをぶちまけている。ただしラング本には、クナがベルリン・フィルへの復帰の計画を「取り止めた」としてフルトヴェングラーのこの手紙に言及するものの、実際にこの件が原因で「延期」になったということを示す証拠は示されていない。手紙の時点(1946 年 9 月 23 日)ではクナも裁判中であり、何を根拠に 1947 年の復帰(同書の記述は「三年後の一九五〇年一月三十日になって初めて〔……〕カム・バックすることができた」)が進められていたのかも明らかではない。活動禁止が解除され次第というようなことからの逆算か。
*2:1 月 28 日、30 日、ならびに、2 月 1 日(2 日とされているが、アウディーテは 1 日としている)クナお得意のコムツァーク『バーデン娘』の名高い演奏含むポピュラーコンサートの CD も収録。
*3:ちなみに、ここでのラウドネス値は「インテグレーテッド・ラウドネス」、すなわちソース全体の音量を統合(インテグレート)して平均化した値だそう。前回記事も参照のこと。
*4:
*5:ヘルベルト・ハフナー(著)『ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝』(春秋社、2009 年)、p. 227
*6:1977 年 12 月、『グラモフォン』誌 1978 年 4 月号www.gramophone.co.uk
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*7:「おっしゃる通り」などと付け加え話を引き込んでいるが、「過渡期」の指す内容もオズボーンと食い違ってるような気がしないでもない(我田引水?)。
*8:2010 年