下記続き。翌 1983 年(昭和 58 年)の小冊子『ジャパンカップ出走予定馬プロフィール』。
文庫本やハガキを横にした(A6 横)サイズ。五枚中綴じ計 20 ページ、フルカラーの小冊子にグレードアップした。画像は濃いめに出ているが真鍮っぽい色味の金色文字・デザイン。

大川慶次郎、原良馬、山野浩一の各氏が寄稿。裏表紙、「世界超A級馬の府中トレーニングを見よう。」ということで、上掲記事で少し触れたがこの年も調教を無料公開。優勝騎手副賞に三菱自のギャランΣ1800スーパーツーリングターボ、ラウス騎手どうしたのだろう。
なお今回知ったのだがスタネーラのフランク・ダン調教師はスーパーマーケット・チェーンを経営する実業家で、フルタイムでの調教活動は行なっていなかったとの由 *1 。来日後、満足に調整できない状態だったスタネーラ(3人気)を勝利させて話題になった *2 。
その後、ルドルフの翌年 1986 年(昭和 61 年)第六回ジュピターアイランドからは毎年現地で観戦。第 11 回ゴールデンフェザントまでは行っていたようで、開催地で当日配布される小冊子『レーシングプログラム』が出てきた(なんか覚えてない年も……)。『レープロ』はページ数も多く取り込みが大変、『出走予定馬プロフィール』もまだもう一冊あったのだがジャパンカップはこのくらいにして——こんなのも出てきた。
![]() 第 22 回有馬記念 トウショウボーイとテンポイント(右) 「交わすか、かわしてしまったのか!」(実況 杉本清) |
(つづく)
*2:いっぽう、これまた調子に疑問を持たれていたエリンズアイル(4人気)は惨敗。あやふやな記憶で恐縮だが、大橋巨泉がこれに関してアゴアシ付き招待はやめるべきと憤慨してたような。調教師が帯同しなかったのも熱意がない証拠うんぬん。来日スタッフが物見遊山だとか報じられてたりしていた記憶は無いし、巨泉がそのような情報を別に掴んで発言していたのかも覚えていない。当時から名伯楽として著名だった、そのチャーリー・ウィッティンガム師は六年後 1989 年にはサンデーサイレンスでケンタッキーダービーなどに勝利。91年にはゴールデンフェザントでジャパンカップを制したが、このときも来日してなかったんじゃないかなぁ。それにスタネーラのダン調教師も帯同していなかったはずだ。国際電話で連日何時間も徹底的に曳き運動するよう指示があったとかなんとか。90年にベルメッツ(1人気)で来日した、このころ全盛期で勝ちまくっていたヘンリー・セシル師(英国紳士らしいダンディーなおっさんだった)が、厩務員には任せず自らベルメッツをお湯で洗っていたと報じられたのには(『優駿』誌だったか)、それはそれで感銘を受けたりもしたものですが。その後、1992 年に ICSC に国際 GI 認定されたあとも現在に到るまで〈招待競走〉のまま。国際招待競走自体は当時も今もとくに珍しいものではないし、ウマ第一とはいうものの関係者に貧乏旅行させる訳にもいかず——逆にものすごい豪華招待旅行なので(あるいはあったので)あろうか。










