dancept2の日記

あやしうこそものぐるほしけれ

スカラ座のアーカイヴから(その一:カラヤンとチェリビダッケ)

ちょっとびっくりしました。がっちりと握手の後、なごやかに談笑(?)。

artsandculture.google.com

artsandculture.google.com

Google Arts & Culture にアップされていた。記事欄には二枚とも

Title: Concerto Herbert Von Karajan - Sinfonia N.5 In Do Min.
Season: 1953-1954
People: Sergiu Celibidache, Herbert Von Karajan
Credit: Erio Piccagliani

とあるのみ。このころカラヤンがミラノで第五をとり上げたコンサートを Eliette and Herbert von Karajan Institute *1 ウェブサイト のオンラインアーカイヴで探してみると、1954年10月23日・24日にフィルハーモニア管弦楽団とのコンサートの記録があった *2 *3 *4カラヤンの演奏会後、チェリビダッケが楽屋(?)を訪れたということか(写真二枚目の壁時計は23時25分を指しているものとおもわれ)。いっしょに写ってる美女は誰?(笑)。

掲載ページにリンクされているスカラ座公式サイトも調べてみると “L'Archivio StoricoHistorical Archive/ヒストリカル・アーカイヴ]” に、これまた膨大な量の資料があった。上掲写真もアップされており、“Category” に "BACKSTAGE " とある *5 。下記はその公演告知から10月23日分、定刻21時15分。

Playbill CONCERTO HERBERT VON KARAJAN - Archivio La Scala

以下妄想(笑)

「すばらしい演奏会でした。」

「ありがとう。来月ベルリンであなたのフィルハーモニカーとブル九を演奏しますので *6 聴きに来てください。」

「ぜひ。」

「あなたの」などと嫌みいってみさせたりして(笑)。微妙な時期ですね。フルトヴェングラーベルリン・フィル最後の演奏会となったのがこの年1954年の前月9月20日。すでにチェリビダッケベルリン・フィルフルトヴェングラーとの関係が悪化しており、イタリアでもさかんに客演していた。といいますか、この三日ないし四日後の10月27日および28日にはスカラ座オーケストラとのコンサートを行なっていた。左記も含め CeLIST によれば、チェリビダッケのスカラ・デビューは前年10月、ブラームス交響曲一番などのコンサート *7 。また、ウィーン交響楽団には1949年から何度か客演。

カラヤンの方も、前年九月に戦後初めてベルリン・フィルの指揮台に上がり、この年9月23日に再登場したばかり(いずれもベルリン芸術祭)。スカラ座をはじめとするイタリアのオケやウィーン響との関係も深く、両者(カラヤンとチェリ)はすでに旧知の間柄だったか。ウィーンといえば、このころカラヤンザルツブルク音楽祭のみならずウィーン・フィルと疎遠になっていたのもフルトヴェングラーの圧力があったためだったというようなことがあったような。カラヤンのスカラ・デビューは戦中の1940年、1948年からはドイツ・オペラ部門の監督。なお、この 1953-1954 シーズン、開幕公演(前年十二月)でデ・サバタが心臓疾患により降板し芸術監督に引き、音楽監督にはアシスタントを務めていたジュリーニが就任している。

チェリビダッケは翌月11月28日にドイツ連邦共和国功労大十字勲章を授与されているが、その翌29日がベルリン・フィルとの(戦後期)最後のコンサートとなった。フルトヴェングラーがバーデン=バーデンで亡くなったのがその翌日の11月30日。

——

(次回もスカラ座のアーカイヴからいくつかご紹介する)


*1:「エリエット&ヘルベルト・フォン・カラヤン研究所は、エリエット・フォン・カラヤンによって設立された非営利団体」「1995年に設立されたウィーンのカラヤンセントラムの後継機関で」「カラヤン研究所の使命は、ヘルベルト・フォン・カラヤンの遺産、生涯、作品、音楽的解釈を保存すること」との由。

karajan.org

*2:下記 “KONZERTE • 154” タブより。“154” は第五の演奏回数。

www.discoverkarajan.com

*3:さすがというべきか膨大なデータが集められており、時代ごとの、演目やオケの変遷等いろいろ分析(?)できそう。ただし mapbox で地図が表示されるなど見栄えはいいものの集計してデータとして使うには使い勝手はあまりよくない(コピペは可能)。ちなみにカラヤンベートーヴェン交響曲公演回数は以下の順になっていた(カッコ内は放送含む録音)。最も少ない第八はその前の第二の約半分。

第五「運命」 154(31)
第七 129(22)
第六「田園」 104(22)
第三「英雄」 80(22)
第九「合唱」 77(26)
第四 76(25)
第一 49(12)
第二 43(13)
第八 22(13)

*4:
PhOコンサートツアー/ミラノ
プログラム
 • 歌劇『アナクレオン』序曲(ケルビーニ)
 • 『フランク・ブリッジの主題による変奏曲』Op.10(ブリテン
 • 『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』Op.28(R・シュトラウス
 • 交響曲第五番ハ短調 Op.67(ベートーヴェン
なお、このときカラヤン最初のベト全集録音(1951 - 1955)が進行中で、翌月11月10日に第五のセッション録音が組まれている(キングズウェイ・ホール)。

*5:ただし、本文後述の公演ポスターのように “L'Archivio Storico” の写真は全面ロゴ入り。

www.teatroallascala.org

www.teatroallascala.org

*6:11月21日・22日、定期演奏会 B/4 。下記 “KONZERTE • 1523” タブより(すなわちベルリン・フィルとは1523回の演奏会)。

www.discoverkarajan.com

*7:

www.bekkoame.ne.jp

スカラ座のアーカイヴにも資料があった。カラヤンも含め、これらについてはまた別途。