dancept2の日記

あやしうこそものぐるほしけれ

英グラモフォン誌:カルロス・クライバーのベートーヴェンの第7の録音は、その「古典」の地位に値するのだろうか?(その二)

上掲後半です。AF-C 氏、当方も少なくとも最終小節はアルコの方が好きですが、「けいれん(twitches)」ですか。DG 氏言うように四十年も経過して、その後いろいろな演奏も出てますしね。久々に聴いて失望したと(しかしながら、この記事ではクライバーのライヴ録音以外にはその後出た音盤には言及していません)。DG 氏の反論もいまいち奥歯に…というかんじもあり、最後は何か無理やり盛り上げてるような(笑)。

1981年のロンドンのエピソードもいかにも、というかんじですが、チェリビダッケの日本公演のように BBC  はひそかにテープ残してたりしないのであろうか。


レコーディング、再考...[続き]

私は彼が崇高なストイシズムのようなものを目指して——音楽に痛みがあることを認識しながら距離を置くことを保っているように感じる

アンドリュー・ファラク=コルトンAF-C 私は原典に基づく完全性に対して思い入れがありますが、あなたがクライバーが「長期的視野」をとると言うときの意味は理解していると思います。例えば、アレグレットでは、彼は高貴なストイシズムのようなものを目指して——音楽に痛みがあることを認識しながら距離を置くことを保っているように感じる。それでも私は感動しない。私はむしろいくつかの細部を好みます:たとえば、彼がいかに2分56秒での原シューベルトマッジョーレ部にひそかに滑り込むか。ですがここでさえ、木管楽器のドルチェの指定は手短かに済まされ、オープニングのリズミカルで超自然的な執拗さからの休止が不十分です。あなたが最初の楽章で聴く「戦闘的に持続するリズム」は、作品全体を通して実のところ固定観念であると主張したい。いかにも、第三楽章は真のプレストとして演奏されますが、それは悲惨なほどに、刺激的ではないことに激しく狩りたてます。

デイヴィッド・グットマンDG 演奏は批判を超えていないし、クライバーは確かに魅力を優先させません。あなたはアレグレットの装飾音のスクラッチな扱いが気になりましたか?。私は彼以前の彼の父のように、あるいはクレンペラーのように、クライバーがピチカート弦を最後まで求める最終小節には確かに疑問を抱きます。私は伝統的な弓による読みにプラスして典拠の怪しいリタルダンドがよりうれしかっただろう。とはいうもののクライバーは我々を快適にしようとはしておらず、むしろ空中で終わります。スケルツォでは、滑走することに傾くアンサンブルから彼が得るアーティキュレーションとダイナミックレンジの性質は、私にとってはかなりの注目に値するように思われます。私はその怒りっぽい[splenetic]性質が好きです。何かあるとすれば、私を当惑させるトリオの時代遅れの広がりです。トスカニーニは長引かせることへの拒否ではるかに革新的かつ「現代的」でした。クライバーの DVD バージョンも、より快速です。

AF-C アレグレットのそれらのスクラッチな装飾音は気になります、ええ:それらは軽やかさの強調というよりけいれん[twitches]です。そして、私もこっそりと暗い夜に紛れるピチカート弦のエンディングは気に入りません。それはもう明らかにベートーヴェンが望んでいたことではなく、さもなければ彼はそれらの最後の小節にフォルテを記さなかったでしょう。私はフィナーレに、もっとも説得力のあるクライバーの徹底性を見出だします。理想的には、もっと明暗と遊び心が欲しいですが、それにもかかわらず魅力的です——そして、コーダの響きの轟音は実に爽快です。

DG トスカニーニ以来、誰もその高揚感をそれほどうまく伝えたとは思いません。加速はコントロールの喪失のような印象を与えることがありますが、ここでは、ホルンでさえ不明瞭さは何もありません。このようなコントロールと奔放さの組み合わせは、非常に多くにとって効果的です。でも、あなたにはそうでないかも?

AF-C 何年ものあとにこの演奏に戻り、それが私をいかにわずかしか楽しませなかったかに驚かされました。それは「古典」ですが、おそらくその評判はカップリングによって強化されている?。クライバーの第五の演奏は素晴らしい:バランスをとることと奔放さについての話です——彼の第五は、スリリングであると同時に堂々としています。彼は第七に同様のアプローチをとりますが、この作品は何か異なるものを求めています。クライバーは、リピートの見過ごしやオーケストラの洗練の相対的欠如にもかかわらず、コンサート録音で音楽の本質により近づいています。

DG そうですね、あなたが疑念を抱いてるだけではありません。1981年にクライバーがロンドンとミラノで LSO の公演を率いたとき、英国の評論家はほとんど敵対的でした。ガーディアンに書いたグラモフォンのエドワード・グリーンフィールドは、「何としてでも違うことをすると決心した指揮者」の「挑戦的な誇張と独特の表現」を攻撃していました。傷ついたクライバーBBC にテープを消去させ、英国で別のオーケストラ・コンサートを指揮しませんでした。個人的には、私はバーンスタインなしにしたくありません——早くも1964年にリピートに配慮しています。彼のニューヨークは、クライバーのウィーンより構えず透明で、調性の緊張は劇的に表現され、バーンスタインが「びっくり交響曲」と走り書きしたスコアからの合図による演奏に相応しく、よりユーモアが広がります。我々はきっと平穏さが偉大なベートーヴェンの敵であることに同意できると思います。そして自己中心的とは異うカルロス・クライバーは、断してそうではありません。私にとって、彼の DG の第七は、この上ない「古典」——そして「古典的」——です!。

この記事は当初グラモフォン2018年4月号に掲載された。最新の定期購読サービスについては、gramophone.co.uk/subscribe をご覧ください。


(こちらも前回続き)イッセルシュテットは、手元の CD 国内盤全集(キングレコード)では続けて八番がカップリングされており、そのまま聴いてしまった。こちらもゾフィエンザールでの収録(前年の1968年)で音色、雰囲気は同じだが曲調も異なり、七番のようなピラミッド型バランスにはなっていない。しかし目の覚めるような録音、演奏ですねぇ。音が鮮やかすぎるという印象を受ける向きもあるかもしれない。改めてデータ確認するとエンジニアはケネス・ウィルキンソン。なるほど(七番はゴードン・パリー)。初期の国内プレス CD は国内のアナログマスターでマスタリングされていたのだとおもうのですが、1990年あたりだとどうなんでしょうかね。しかもデッカのアナログ盤は「輸入メタル原盤」が売りで——と、ここらへんはまた別途。

リーフレットの演奏解説もあらためて眺めてみた(小林利之氏)。録音セッションの様子のルポもあり、曲ごとに細かく弦の人数を増減している等の記述があった。しかし七番だけは微妙な評価(苦笑)。この全集タワレコSACD で復刻してるんですね。手元のボックスでは第九(1965年/ジェームズ・ロック)などいささか古さを感じさせる音質で、こんなもんぢゃねーんでないの?とおもったりした記憶が。時節柄聴くのも相応しいですが、またの機会に。いっぽうタワレコのはどうなってるのかチト気になって来たり(苦笑)。

ところでベト七というとこちらがすごい。オケはシュトゥットガルト放送響。再現芸術の究極というか異形の演奏というか。ちょっと変態的ですね(笑)。

英グラモフォン誌:カルロス・クライバーのベートーヴェンの第7の録音は、その「古典」の地位に値するのだろうか?(その一)

“Classics Reconsidered: does Carlos Kleiber's recording of Beethoven's Seventh deserve its 'classic' status?”、ちと古いですが英『グラモフォン』誌四月号より(前半)*1 。なんで今この録音?かといえば「古典再考」というシリーズだそう。


古典再考:カルロス・クライバーベートーヴェンの第7の録音は、その「古典」の地位に値するのだろうか?

グラモフォン 2018年5月14日(月)

アンドリュー・ファラク=コルトンとデヴィッド・グットマン、クライバーのDGへのウィーン・フィルとのベートーヴェンの第7の録音の長所と短所をめぐり意見が対立。

Classics Reconsidered: does Carlos Kleiber's recording of Beethoven's Seventh deserve its 'classic' status? | gramophone.co.uk

オリジナル・グラモフォン・レビュー、1976年9月より...

ベートーヴェン 交響曲第7番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団カルロス・クライバー(DG)

クライバーの第七交響曲は、彼の第五よりはるかに多くの議論をひき起こすのは明白であり、水路の両岸へ意見を分かつ運命にある、と私は思う。解釈としては、彼の父親のすばらしい読みを綿密にかたどっている(むしろここを弱々しくする、同じく議論をひき起こすアレグレットへのピチカート終結さえある)。だが一般的なスタイルと熱気において、この演奏は1936年の古典的なトスカニーニのセットに倣っている。ウィーン・フィルハーモニー・サウンドでの過剰な音色[excess tone]はかけらも残っていない。シュミット=イッセルシュテットの美しく演奏された(そして優れて文法的な)デッカの読みを際立てている中欧的テクスチャーがなくなっている。録音さえも気後れしているように質素[spare]で単色に思える。フィナーレは、疑いもなく、名演である。私がここで違和感を覚えるのはただ一つだけで、木管楽器が跳躍する第二主題を扱うごとのクライバーの奇妙な緊張緩和である。スケルツォも極めて説得力があり、トリオは遅いが全体は非常に速く、(指示された)ヴァイオリン旋律のニュアンスに欠け、この点ではクライバーの読みをトスカニーニエーリッヒ・クライバーのよりかなり表情に乏しいものにしている。とはいうものの、どうして叙情的な第七にする必要があろう?。クライバーが正しく見抜いたように、それは質素な、アスレチックな作品なのであり、部分的に叙情的なディオニュソス精神の祭典、それでは生気もないではないか?…これは手に入れられ議論されるべき第七である。あなたはそれを完全に納得できる、あるいは完全に説得力のあるものとはしないかもしれないが、我々をこの偉大な作品の本質的な精神に、ときにまごつかせるほど近づける、紛うことのないじゅうぶん稀な現象なのである。リチャード・オズボーン

レコーディング、再考...

アンドリュー・ファラク=コルトン[AF-C] リチャード・オズボーン[RO]は、カルロス・クライバーによるベートーヴェンの第五交響曲の DG の録音(75年6月)に完全に圧倒されていました——無理からぬことです。なるほど、デイヴィッド、あなたと私は2005年4月に遡るまさにこの雑誌で RO の評価とその録音の今や伝説的な地位を擁護し、いっぽうロブ・コーワンは留保を表明しました。今回、ロブなしで、我々はクライバーの第七の価値を再考しています。RO はこの録音にあまり熱心ではなかったし、私自身再び同意見であることに気づきます。確かに、私はクライバーの解釈のエネルギーと力強さを賞賛しますが、それは中途半端に堂々と[monumental]しています。( RO が言及している)ハンス・シュミット=イッセルシュテットは、出来事やキャラクターに満ちているとともに、より遅くて壮大です。クライバーが演奏するやり方は、最初の楽章のヴィヴァーチェアレグロのようなものです。ヴィヴァーチェは、テンポと同じくらい気分を示すものではないでしょうか?

デイヴィッド・グットマン[DG] どこから始めれば?。それは私が期待する議論の口火ではまったくなく、そのような控えめな評価には賛同できません。私は、RO の反応の一部の背後に「新しさ」のショックを感じます(ピリオド演奏はのちに登場しました)。彼の留保の——そしておそらくあなたの——いくらかは、元の録音の奇妙にフォーカスした(マルチマイクではなく、むしろ「ほこりっぽい」)音響から派生しているとも思う:RO は、その疑う余地なく象徴的な第五と合わせてリリースされた CD(95年5月)についてもっと熱心に思えた[*2]。私が自分の考えを整理することに問題があるとすれば、非常に多くの競合するクライバーのバージョン、一部は「海賊版」の到来によって波紋を投げかけられたからです。第七は最後まで十八番であり続け、この気難しい巨匠が公式にプログラムにした最後の作品——最後に指揮した曲ではないが——です。おそらくあなたは彼のコンセルトヘボウの DVD を好むのでは?。

AF-C そうですね、まずは、「ほこりっぽい」音質に同意します。私は、あなたがちょうど触れた1995年の DG オリジナルズのリマスタリングで聴いており、さらにはそれは、エンジニアが AM ラジオで聞かれることを意図しているかのように、まったく無色です。

DG 最近の SACDBlu-ray でのハイエンドの改良は、サウンドをフレッシュにし続けています。私は SACD の CD レイヤーが、1976年に RO が述べた「質素な、アスレチックな」性質をある程度洗練し、あなたがそこで手にした再発よりも良いと推測している。

AF-C たしかにあなたは正しい、デイヴィッド。しかし、この音響的な改良は、その解釈を際立って照らし出すでしょうか?。私はむしろそれを疑います。RO の反応が「新しさのショック」を反映していることも疑わしい。1976年においてさえ、クライバーの解釈はそれほど非正統的ではなかった。RO は、その現代的なアスレチック主義がクライバーの父エーリヒによるデッカ録音、同様にトスカニーニRCA のための見事な1936年の演奏に「密接にモデル化されている」と指摘しています。そして、もちろん、トスカニーニの録音は AM 放送を対象としていましたが、豊かな喜びと驚きを伝える——したがってエンジニアリングは問題ではありません。クライバーのコンセルトヘボウ DVD でのサウンドもパッとしないですが、その演奏はもっと感情に訴えますし、オルフェオでのバイエルン国立管弦楽団との演奏もそうです。バイエルンとで、あたかも飛び込むのを待ちきれないかのように、クライバーがヴィヴァーチェの最初のフォルティッシモフェルマータから爆発するのが大好きです、VPO とではルーティーンに聞こえる。

DG 私は少しもルーティーンとして DG のバージョンを聴いていないが、あなたが言わんとしていることを理解はできます。クライバーは長期的視野をとります。彼の最初の楽章の主部は、ヴァーグナーの舞踏の神話ではなく、戦闘的に持続するリズムのエクササイズになります。そのため他の読みは、より多くの付随的な楽しみをもたらします。そして彼のそれほど遅くない(明らかにエーリヒ・クライバーから継承された要素による)遅い楽章は、意図的に冷ややかで抽象化されているように感じます。しかし、それはスケルツォとフィナーレの興奮をより大きく浮き彫りにしませんか?。私は、似たような勢いをひき起こすことをエーリヒからは何も聴いたことがありません。私はまた、刈り込まれた弦楽器のサウンドと両翼配置されたヴァイオリンとの組み合わせが実に稀であり、おそらくこの時期唯一であったことも強く主張します。録音は今40年(あまりちょうど)たっています——当時のトスカニーニのと同じくらい古い。最初の楽章の提示部のリピートは、ほとんど規範でもありませんでした。アムステルダムの DVD はこれらすべての点で妥協しています。[続く]


イッセルシュテットが引き合いに出されていたのが少々意外といえば意外。英国人=デッカ贔屓という訳でもないでしょうが、というかこの当時ウィーン・フィルのステレオ録音というと…って結構ありますねデッカにもショルティ(1958年)、カラヤン(1959年)、アバド(1966年)、DG にベーム(1972年)、クーベリック(1974年)あたりですか。さすがにメジャーどころが並びますが、クーベリック以外は各自のディスコグラフィにおいて代表的な第七という訳でもないんでしょう。上記の音盤や記事で言及されているトスカニーニもエーリヒも未聴なのだから話にならないが、カルロスとイッセルシュテットは手元にあるので久々に聴き直してみた(ことに後者は超久々)。

録音/マスタリングともイッセルシュテット盤の方が古いのだが *3 、一聴、録音のみずみずしさに耳を奪われる。また、オズボーン氏のいう「中欧的テクスチャー」とは、どっしりとバスを利かせたピラミッド型バランスのことであろうと即察せられる。録音もあるのかティンパニもガツンと強打され、そこからゴリゴリとしたバスに至るまでの音価のウェイトの受け渡しが非常によい。クライバーの方は、実に爽快ですが。

アレグレットでのカルロスのテンポは今では標準的なんでしょうかね。対してイッセルシュテットはずいぶんと遅い。どっしりとしたグランドスタイル。さすがにフルトヴェングラーのようにはならないが、ここでもエッジの効いたバスの響きが効果的で、ひとことでいうと「より遅くて壮大」、ドラマがある。また録音の差はピチカート部分などますますあらわになり、こうして比較してみるとクライバーの方はレゾナンスをまったく感じさせずスカスカでいかにも残念なかんじ。

イッセルシュテットは三楽章もプレストにしては遅い。そのぶん四楽章の「生き生きと快活に」との対比の効果はありますが、後者の指定は「生き生きと快活」なアレグロアレグロ・コン・ブリオ)なんですよね。快速なクライバーがトリオの入りの「アッサイ・メノ・プレスト」からずいぶんと遅くなるのはオズボーン氏も指摘のとおり *4 。その後のコンセルトヘボウとのライヴや下記などでは行なっていません。クライバーの四楽章、これはもう録音などどうでもよくなりますねぇ。

そんなんで(?)、テレビ放映の映像アップされてたようですが FM 中継からの音源アップしてみた。いずれにせよ CT の再生環境残念なんでアレですが。

(こちらも続く)


*1:ぜんたいにこなれてないのはご勘弁いただくとして何度か登場する “spare”/「質素」等しっくり来ませんが(痩せた、引き締まった?)、とりあえず。カナ書きした “athletic" は「体育会系」といったところでしょうか。

*2:下記か。第五の方の2005年4月記事は発見できなかった。

*3:1969年録音、CD マスターの制作年は明記されていない。全集 CD 自体は1994年の製作だとおもうのだが、バックインレイには 90・7・5 の日付らしき印刷がある(キングレコード)。クライバーは2003年マスターによる SACD シングルレイヤー(日ユニバーサル/2010年)。

*4:速度指示どおりですが、併記のメトロノーム記号だと付点二分音符=132→二分音符=88から二分音符=84へという指示なんですね。四楽章は二分音符=72。

チック・コリア/スペインで「スペイン」(2018年)

Chick Corea Akoustic Band © lolo vasco_53 Heineken Jazzaldia_Trinitate Plaza / Square / Place

追記:ジャサルディア公式 flickr より。下記チャンネルに90分近くの動画(オフィシャルな収録と思われます)がアップされていたのですが、当記事エントリ後すぐに削除(無念)、とりあえず差し替えました。さらに追記(2018年1月30日):復活(?)していたので動画へのリンク戻しました(下記)。

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ベタですが(笑)。偶然目にしました。ことしの7月29日、ジャサルディア(Jazzaldia/サン・セバスティアン国際ジャズ・フェスティバル)のライヴ。情報に疎い当方このトリオがさいきんも活動してるとは知りませんでした。チックはいろいろトリオがあってどうなってるのか知りませんが。

エレクトリック・バンドは当時ちらっと一聴しただけでハード・フュージョン(?)てなかんじが苦手でまったく聴きませんでした(浅い)。アコースティック・バンドやってもアコースティック・フュージョン(?)だろノーサンキューていう感じ。こちらもまったく耳にせず。浅い。じつに浅い。

今さらですが(何年経ってんだよ)よいですね(爆)。カチッとしたタイトな演奏がカッコイイ。このメカニカルな疾走感。チック独特の音の洪水が押し寄せてくる目くるめく感覚がよみがえる。

一曲目「モーニング・スプライト 」、チックらしい親しみやすいがどこかトリッキーなややこしい曲。リズムセクションのソロになったときのバッキングや受け渡し、三人のインタープレイ、いいっす。会場を意識してか(?)ややソフトめの曲が多いか。パティトゥッチがけっこうアルコ弾いてます。もっとゴリゴリなハード・ジャズ(?)聴きたかったですが D・スカルラッティソナタ演ったり(ニ短調 K.9 L.413 ですね)。ラストは「あなたと夜と音楽と」。もう入りからいいですね。

「みんなのために「スペイン」の新品のアレンジがあるんよ」。「スペイン」はアンコールで登場( 1: 07:07 - )。「今夜はみんなのためにもっとスコアのように、もっと彼が書いたように演奏してみたい」ということで『アランフェス協奏曲』拡大版。スペインに流れ込む展開がイカしてます。「最後にサン・セバスティアン合唱団を招待」?、そういうことすかご愛敬(当方もナゾかけするほどのことではないんですが)。

モンズーンの系統三頭の話題/第183回ウニオンレネン

コロネーションカップヴィントシュトース、小頭数とは言え最後尾からのレースで展開も向かなかったように見えましたが、ギリギリ差し切ったクラックスマンに突き放されてしまいましたね。レース使った方がいいような感じもあるので次走に期待といたしましょう(サンクルー大賞典あたり?)。

昨年オイロパ賞も勝ったことだし個人的には早いとこ引退して無事種牡馬になってもらいたいという気もしないでもないんですが。

で、今週はウニオンレネンということで RaceBets の出走表見に行ってみたところ、バリードイル Ballydoyle (GER) とエッコ Ecco (GB) というモンズーン Monsun (GER) の仔の新種牡馬の産駒がいたので取り上げてみる(苦笑)*1 。そいえばこちらのノヴェリスト今のところぱっとしないようですなぁ。

15:15 ケルン - 2018/06/17 - 183回オッペンハイム・ウニオンレネン - 出走表

クールモアの調教場を名乗るバリードイル *2 は5月21日ミュンヘンの未勝利戦(2200 m)を勝ったばかりで2戦1勝、中団から抜け出し4馬身差の楽勝(leicht)だった。

14:40 ミュンヘン - 2018/05/21 - アリアンツヴィットマン・トロフィー - 出走表

レースっぷりが買われてかそこそこの人気(現時点の RaceBets アンティポスト8倍、13頭中5番人気)、というかなんともお寒いメンバーになってる模様。

父マスターストローク Masterstroke (USA) はラムタラ Lammtarra (USA) の代表産駒 Melikah (IRE)(愛オークス2着、英オークス3着)との仔で、その母はあの Urban Sea (USA) 。自身は5代アウトクロス。ダーレーの生産/ゴドルフィンの服飾で走り、ドーヴィル大賞典(G2)1着、凱旋門賞3着(2着オルフェ)など。殆どフォローしてなかった時期で今回目にするまで知らんかった。ダーレーフランスのロジ牧場(Haras Du Logis)繋養。

バリードイルの母系は米血で近親にこれといった馬は見当たらないようだが、祖母 Silver Rhapsody (USA) はプリンセスロイヤルステークス(G3)に勝ちヨークシャーオークス3着など、四代母 Magaro (USA) の産駒にタヤスツヨシ、五代母 Magic (USA) の半兄に Dr. Fager (USA) 。バリードイルは母の父がキングズべスト King's Best (USA) で名牝 Allegretta (GB) の 3×4 クロス、というかキングズベストUrban Sea (USA) 3/4 同血クロスの 2×3 という。なかなかエグい。


エッコの方もクレーフェルトの未勝利戦(2200 m)を9馬身半で圧勝(überlegen)。こちらは楽に逃げ切りで3戦1勝としたが、アンティポストは13倍。ミュンヘンの上記未勝利戦でバリードイルの2着となっていた未勝利馬 Magic Pivotal (FR) と並ぶ7番人気という評価。

クレーフェルト - 2018/05/13 - ケーニヒスホフ醸造所賞 - 出走表

父マキシオス Maxios (GB) はニアルコス・ファミリーの生産で、イスパーン賞ムーラン・ド・ロンシャン賞などの優勝馬。半兄にバゴ Bago (FR) がおり、Northern Dancer (CAN) の母 Natalma (USA) の直牝系。母 Moonlight's Box (USA) がその Natalma (USA) 3×4 などかなりの近交馬だが、モンズーンのアウトブリードでそれを緩和する格好。フェアホフ牧場の繋養。

エッコは母の父 Medicean (GB)(エクリプスステークスロッキンジステークスなど)で、その父 Machiavellian (USA) と仏チャンピオン2歳牝馬でバゴの祖母 Coup de Genie (USA) の 3×3 同血クロスに、Nureyev (USA) ≒ Sadler's Wells (USA) の 3/4 同血クロス 3×4 と再度凝縮。こちらもかなりエグい。モンズーンが 1/4 異系という感じになった。昨年の独ダービーヴィントシュトースの2着した Enjoy Vijay (GER)(父 Nathaniel (IRE) )は半兄で、母系は四代母 Sefka (FR) から一度ドイツを出てSラインの命名は途切れているが Sefka (FR) は Sayonara (GER) の半妹。フェアホフ牧場産。


ヴィントシュトースの半弟でメールミュルヘンスレネン(G2)4着、ドクターブッシュ記念(G3)2着、これまで4戦1勝のヴェルトシュター Weltstar (GER)(父 Soldier Hollow (GB) )が1番人気。

当地の状況はほとんどフォローしてなかったが、その他の人気馬も独ダービー直行ということらしいロイヤルユームザイン Royal Youmzain (FR)(前出 Sayonara (GER) の牝系)に負けてる馬ばかり。キャリア不足の上に骨のあるメンバーとの対戦も経験していないが、まだ底を見せていないということで二頭も多少は期待できるかも??。


*1:下記参照。

*2:本家スミス氏、マグナー夫人&テイバー氏のトリオの持ち馬にマルセルブサック賞を勝った Galileo (IRE) 産駒の同名馬がいた。

DIY:ドアノブ交換(丸型チューブラ錠 → レバー錠)

年末にトイレの古くなったドアノブを DIY で交換した。意外と苦戦したので記事にしてみる。

取り付けられていたのは丸型の握りノブ。さらに分類すると「チューブラ錠」ということになるらしい。室内錠としては一般的なタイプ。当方が嵌まったポイントを先に書き出しておくと、

  1. 「バックセット」
  2. 「ラッチ」の角穴とノブの軸のサイズ
  3. 「ラッチ」取付プレートの取り外し
  4.  扉へのもともとの取付加工の精度
  5. 「ストライク」の取付位置

といったところ。

木製の室内扉とたかをくくっていたので写真などは取っていない。図もめんどうなので省略する(笑)。当方が交換した型式ではないが、メーカーさんによるチューブラ錠 → レバー錠の交換動画があったのでご参考(マツ六公式チャンネル)。(追記)当記事終わりに追加した動画(丸形同士での交換)も参考になるかも。

※ 音声が BGM さえ無いのでちょっとアレっとなる。

さて、交換するにはサイズを合わせなければならない、というか大変なことになる。こんかいパーツの名称等はじめて知った訳だが、

バックセット

まずはこれが問題で、いろいろある。ノブの軸から扉の面(ツラ)までの距離。ラッチ(扉を閉めると「カチャン」と飛び出すかんぬきの金具ですね。扉のなかに埋め込まれています。上掲動画参照)のサイズがこれで決まる。

当方のは 50 mm で、かなり古いタイプということらしい。丸型のタイプはこの距離がみじかいと使いずらいということで、室内用は現在 60 mm が中心のようだ。近所のディスカウント店、ホームセンター数店まわったが、どこにも在庫がない。

ラッチの角穴

現状のラッチは使えるし交換も面倒なので(苦笑)、バックセット 60 mm でも、とおもったのだが、ラッチの角穴(ノブの四角い軸を通す。これでノブの回転をラッチの直線運動に変換するわけですね)のサイズが違ったりするらしい。ラッチ単体でも売られているので、合わなければ最悪買い足せば何とかなるのだが。

バーハンドル

のタイプのドアノブであれば 50 mm もけっこうあった。単純に同じ丸型を探していたのだが、レバーハンドル型の方が使いやすいということもあるようでこちらに。

バックセット 50・60 mm 兼用(ラッチ本体がスライドで伸縮しネジで固定するタイプ)。内側のレバーハンドルに取り付けられたツマミを回すとロック、外からのキー(鍵)付き。内からロックさえできればキーはべつに必要なかったのだが *1 、購入店の在庫はこちらのみ。

室内用ではレバーハンドル型は全体に丸型よりお高いようだが、お安い汎用タイプである。すでにパッケージ等処分してしまったがマツ六のたぶんコレ( P. 17 右上、商品コード 7010170 )。

ざっと見たところ(下記楽天以外でも)こちらが安い。写真は「ゴールド色」( 7010172 )のだろう。

数店見かけた範囲では店頭価格4,000円くらいだったとおもうが店じまいセールのショップで購入、そこから7割引き(!)で入手シタ(リンク先に掲載されてるパーツ一覧写真を見ると、当方の現物とはびみょーに違うように見えるパーツもあるんですが、「製品の外観、仕様は改良のため…」か)。

ノブ台座

意識していなかったが交換前より小さいと扉に付いていた取付跡が露出する。幸い交換前より大きかったので問題なかった。このキズを隠す「化粧プレート」も販売されている。

ドア厚

ノブの軸の長さが足りなかったり長すぎたり。これはまぁ室内なら合わないということもないんでしょう。当方のは 30 mm 。

ラッチ取付プレート

扉の側面からラッチを埋め込み取り付けるプレート。面(ツラ)が揃うようプレートの厚み、縦横サイズ分だけ扉を彫ってあってピタッと嵌まっている。交換前よりサイズが大きいと扉を削らなければならないが、通常同じようだ。ただし当方はここで嵌まった(後述)。

ストライク

扉枠側のラッチを受ける部分のパーツ。こちらも交換品のサイズが大きかったりすると枠側を加工する必要があるが、ストライクが壊れることは余りないんでしょう。当方も交換せず。ただし調整が必要だった(後述)。

ノブ取り外し

まずは握りを軸に止めているマイナスの押しねじを外し、つぎに扉の内外それぞれ台座の木ねじを外す。これでノブは取り外せる。

水回りとはいえ室内なのでボルトの状態は悪くはない。かんたんに外れた(ので甘く見てしまった(苦笑)。ここで交換ノブ買い出しに向かう。

ラッチ交換

丸型さがして何店かまわったりでくたびれモード。バックセット合わせたがラッチ交換しなくてもいいか、と、ここで新しいのを組んで見たが、やはりラッチの角穴のサイズが違う。穴の方が大きいので組めるのだが、レバーを回しても角穴が緩すぎてその分空転し、ラッチを扉の中に引っ込め切れない。

つまり扉が開かない訳で。扉を閉めて室内側で作業していると、ここで閉じ込められてしまうのだ(笑)。当方あとで気づいたが、たまたま扉を開けて作業していて事なきを得た。ご注意を(笑)。

当たり前だが1ミリでも出っ張っていれば扉は開かないので微妙なところだ。

ラッチ取り外し

木ねじ二本で止まっているラッチ取付プレートを外す、のだが、これが外れない。ねじはかんたんに外れたのだが、プレートとジャストサイズに扉が彫られぴったり嵌め込まれており、取り付く場所もない。ラッチの角穴にドライバーを差して引っぱったりしたがビクともせず、接着剤でも入れてあるのかと。

けっきょくマイナスドライバーをプレートの上側と扉のあいだに突っ込み、ハンマーでぶっ叩いたりこじったりでようやく外れた。

扉に傷が入ったが目立たない場所なので良しとする。外れたプレートは曲がってしまった。

ラッチ取り付け

ラッチの上下(扉から見て奥手前の向き)に注意 ——(追記)記事終わりに追加した動画 2:41 ~ 参照。頭の平らな皿ねじで止める。

交換前とプレートのサイズは一致しており、取り付けは一見問題なし。が、扉のもともとの加工がやや上の方に付け過ぎだったようだ。軸を通す側の扉の穴から覗くと、取り付けたラッチの位置がセンターよりかなり上である。前述のとおり取付プレートぴったりのサイズで扉が削られているので、調整するには加工が必要になる。

もともとこの状態で組みあがっていたので、いやな予感はしたが(笑)、このままノブを組んでみることにした。

台座取り付け

予感は的中。扉外側用台座裏側の、軸を受けている部分(ハウジング?)が何というか洗面器をひっくり返したように盛り上がっていた。軸を通す扉の穴との位置合わせ用のガイドということか。おかげで穴の位置がシビアになる。

シビアと言っても組み付けは出来る範囲なのだが、レバーを回してラッチを引っ込めて扉を開き、ラッチを出すにはバネの力でレバーを戻すしかけになっている。これがラッチの取付位置が上にズレているので応力が掛かり、バネの力ではラッチを戻せないという。

台座の取付ねじを緩めればバネで戻るようになる。ラッチの角穴もそうだったが、けっこう微妙なのものだと実感。当方のとは別の製品だったが、ネットの製品レビューで動きがよくないといった書き込みを目にした。これは取付方法の問題のような気もしますね。

けっきょく扉の軸を通す穴をヤスリで削って上の方に広げるはめに。作業はドライバーだけでなんとかなるとおもっておったのだが。

なお、木ねじの取付位置が交換前と同じ(で大きめ、または最悪同サイズのねじ)、あるいはまったく干渉しなければ問題はないが、そうではないケースも出てくるだろう。このとき丸型の握りノブは、見た目で台座取付ねじが垂直にならないのをガマンすれば台座を回して取付位置を調整できるだろうが、レバー型だとレバーが水平にならなくなるのでツライ。今回はなんとかなった。

ストライク

以上で完成~と、レバーを回せばラッチがじゅうぶん収まるのを確認し、一応外から(笑)扉を閉めたのだが、ラッチがぎりぎりストライクに入らず扉を閉めた状態に固定できない。ボールである(とほほ)。ラッチの位置がほんの少し手前過ぎるようだ。新旧ストライクは形状が異なり、交換(または現状のストライクのプレートの窓を手前に広げるの)は面倒そうで目の前が真っ暗になったが(苦笑)、こちら側の取付加工はプレートとぴったりという訳でもなく、手前に少しなら位置を調整できそうな雰囲気。

プレートの取付用の木ねじを通す穴のサイズに余裕があったようで、いったん取り外して付け直したところなんとか上手く行った。ふークタビレタ。

木ねじ

台座のところで触れたが、各パーツの木ねじ取り付けで、交換前と微妙に位置を変えようとすると、古い穴を埋める作業が必要になってくるということもあるだろう。説明書には、元の穴を使う際にマッチ棒の柄や爪楊枝で埋めるテクニックが書かれていた。(追記)以下の動画参照(川口技研公式)。


*1:(追記)「ツマミ」は中途半端に戻してもロック解除できる。いちど、扉を閉めたときの振動等なにかの拍子でロックされてしまった(ので、その意味でもキーは必須)。