(下記続き)
ELVIN JONES
NEA Jazz Master (2003)
Interviewee: Elvin Jones (September 9, 1927 - May 18, 2004)
Interviewer: Anthony Brown with recording engineer Ken Kimery
Date: June 10-11, 2003
Repository: Archives Center, National Museum of American History
Description: Transcript, 113 pp.
[…]
AB[アンソニー・ブラウン]:J. J. ジョンソンとの仕事もしたんですか?
EJ:そう、J. J. と仕事をする前は、タイリー・グレンと 52 番街やレキシントンにあるラウンドテーブルで仕事をしたんだ。エンバーズは角を曲がったところだった、こういうクラブはみんなね。あれは私にとって勉強になった。というのは——
AB:トロンボーンにヴァイブですね?
EJ:そう、トロンボーンとヴァイブ、というのも、私が始めた最初の夜はハンクがピアノを弾いていて[*1]、次の夜には、ほかの誰かがそこにいたんだ! で、そいつはあれこれ曲を演奏していて、私は「タイリーと演奏するだけにしよう、こいつらがやってることは分からん」と言った。それからトミー・フラナガン、少しタイトになってきて、トミー・ポッターがベースを弾くようになった[*2]。
AB:その仕事はどのくらい続いたんですか?
EJ:あっと、ほぼ一年だと思う。長かったね。で、1957 年の後半、夏に、私は J. J. と一緒に旅立った。スウェーデンに行き、デンマークにも行った。行く前にコロンビアの 32 番街スタジオでレコードを録音した。『J・イズ・フォー・ジャズ(J is for Jazz)』と、もう一枚のアルバムだ。J. J. の美しいアレンジは天才的だったよ[*3 *4]。
AB:では、ヨーロッパ・ツアーの前に J. J. からレコーディングの依頼があったんですね。これは初めての海外旅行ですよね? あなたにとって特別なことでしたか?
EJ:船で行ったんだけど——
AB:あっと、船は嫌いなんですね![*5]
EJ:SS ストックホルム号で行ったんだ。素晴らしい旅だったよ。あんなにたくさんの食べ物を見たのは初めてだった。ヨーロッパに行くなら船に乗るべきだよ! それがいい。ほかのことを心配する必要はないんだ!(笑)。蒸気船がもうないのは悲しいね、最高だし、経済的でもある![*6]
AB:ツアーはどうでしたか? 観客とか、そのツアーのことを何か憶えていますか? どう受け止められましたか?
EJ:ええと、コペンハーゲンから始まったんだ。「スリー・クラウンズ・ホテル・オーディトリアム」というところで演奏した。そこで二、三日演奏したあと、ストックホルムに行った。そこではクングストレードゴーデン(Kungsträdgården[/国立公園])で演奏したんだけど、50,000 人以上いたよ!
AB:フェスティバルだったんですか?
EJ:いや! J. J. だけ!
AB:J. J. だけ! 50,000 人の観客の前に出るのは、さぞ爽快だったでしょうね[*7]。
EJ:「今夜はスティックを落とさないほうがいい!」と考えながら出て行くんだ(笑)。
AB:そのグループには、ほかに誰がいましたか?
EJ:トミー・フラナガン、ウィルバー・リトル、ボビー・ジャスパー。ほら、ベルギー人のサックス奏者だ[*8]、もちろん J. J. もね。
AB:スカンジナビア中を回ったんですか?
EJ:ほとんどスウェーデンにいた。そこにあるフォークパークって聞いたことあるかな? 小さな村や町にも——イギリスでいうところのコモンズみたいなものが——あって、そこですべてのエンターテインメントが楽しめるんだ。そこでコンサートをやったあと、ダンスをしたんだけど、蚊に刺されまくったんだ!「オイルを手に入れないと!」ってね。大騒動だったよ。でも、私たちは三か月そこにいた。ラップランドのキルナからヨーテボリまで行ったんだ。
AB:へえ、三か月のツアーですか[*9]。そのあとアメリカに戻ったんですか?
EJ:そう。
AB:57 年も終わりに近づいたので、また画期的なレコーディングが控えていますね。
EJ:そう、その通り。J. J. とはもうレコーディングしなかった。というのも私があの仕事を引き受けて、彼は私に、アルバート・「トゥーティ」・ヒースにこの仕事を約束していたと前もって話したんだよね。それで私は「分かった、君の好きなときに行こう」と言って、フィラデルフィアやレッド・ヒル・インあたりで二、三回仕事をした。そのときで J. J. との仕事はおしまいだった。
その夜、ニューヨークに戻ると、兄のトムが街に来ていて、「おまえ変だぜ! 飲みに行こう」と言うので、私たちはあちこちのバーを歩き回り始めた。七番街まで行くと、そこにウィルバー・ウェアがいて、私はそれが、なんなのかさえ知らなかったんだ、それがヴィレッジ・ヴァンガードだった。で、ウィルバーが「どこ行ってたんだ、ソニーが一晩中探してたぞ!」って言う。私は「ウィルバー、よしてくれ、ソニーは誰も探しちゃいない」と言った。そしたら彼は「降りてこいよ、証明してやる」と言う、で、ソニー・ロリンズが再開する準備をしてるんだな。それとピート・ラロカがドラムを一緒に演奏していた。ベーシストの名前はドナルド・ベイリー。彼(ソニー・ロリンズ)が「このワン・セットだけ一緒にやらないか?」と言った。それで私は「いいよ 」と言う。そのセットを演奏し始めて、ようやくわれに返るとフランク・ウルフとブルーノートの幹部連中がいるじゃないか、レコーディングしてやがった! 私はこれがレコーディングだとは知らず、ソニーは「いやあ、ありがとう」と言って、私は「いやあ、なんてこった!」と言った。それが私の報酬だった。
AB:当時ギャラはよかったんですか?
EJ:おいおい、冗談だろ? 大したことなかったよ!
AB:ギグだけではなくて、レコーディングもだったという?
EJ:そう。
AB:つまり一晩中飲みに行って...…。
EJ:ええと、一晩中じゃなくて、二、三軒行っただけだよ。兄はそんなに飲まなかったけど、ビールは好きだった。私もそうだった。J. J. の仕事が終わった。あれがそれの終わりだった。
AB:つまり、それが『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』[*10]、エルヴィン・ジョーンズ、ソニー・ロリンズ共演、のストーリーですね。それらの曲に登場してる。
EJ:ええと、私は他人のドラムで演奏するのが嫌いだから、演奏するのが怖かった。誰かのバスドラムに穴を開けてしまいがちなんでね(笑)。誰かのためにバスドラムのヘッドを買いに行かなきゃいけなかった! そういうのは好きじゃない! このときは幸いにもそんなことはなかったけど。
AB:では、このレコーディングのライナーノーツには、今あなたがおっしゃったことが説明されていないんですね。
EJ:ああ、そうなんだ。
AB:ドナルド・ベイリーとピート・ラロカと、ウィルバー・ウェアとのイブニング・コンサートがあるんですよね。そしてその理由については説明がなかったのですが、あなたがそのギャップをすべて埋めてくれました(笑)[*11]。一晩だったんですか、二晩だったんですか?
EJ:あっと、ちょうどその夜、フィラデルフィアでちょっとした口論があって、J. J. のバンドをクビになったばかりだったんだ。「私はここから離れたほうがいい、興奮したくないからな」と言ったんだ。私はいつもピストルを持ち歩いてたからね、で、「このクソ野郎に構われたくない」って言ったんだ(笑)。
AB:ピストルは誰が持っていたんですか? あなた? J. J. ?
EJ:私!
AB:ええ、ピストルを持ってたら興奮したくないでしょうね!(笑)。サム・ウッドヤードがバンドスタンドにハンマーと銃を置いていたという話も聞きました。よくあることなんですか?
EJ:うーん、ハンマーを持ってた理由は分かるよ。ドラムを釘で打ち付けなきゃならないことがあったからね。ドラムはあちこちバウンドするから。でも、銃が彼のかどうかは分からない!(笑)。サムはクレイジーだ!
AB:では、あなたは銃を持っていたわけですが、ミュージシャンや人々が銃を持つのは普通のことだったのですか? なぜ銃を持たなければならなかったのですか?
EJ:ナイフを持つのが嫌だったから(笑)。誰にも近寄らせないって言ったんだ。
AB:話を戻して、この時点でいつから銃を持ち歩いてたんですか?
EJ:なんてこった、17 のときピストルを持ったんだ。服を着るときポケットにピストルを入れた。父から聞いたんだ。ミシシッピにいたとき、男の子はみんなピストルを持ち歩いてたってね、で、「自分も買わなきゃ」と思った。ただ持っているだけでよかったんだ。使う理由はなかった。
AB:ほかの人たちも持っているのが普通だったんですか?
EJ:ああ、知り合いはみんな。
AB:持っていたんですか?
EJ:知り合いはみんな持ってたよ。
AB:ピストルかナイフを持っていたということですか? それとも両方?
EJ:だから大晦日には演奏したくないんだ。真夜中になったとたん、みんな銃を撃ち始める。私は「ここから出て行く!」と言ったんだ。
AB:J. J. との意見の相違はなんだったか憶えていますか?
EJ:彼には言い訳が必要だったんだと思う。「タイムをキープしてないじゃないか」って言うから、私は「じゃあ、あんたがドラムを演奏するんだ」って言ってやった(笑)、「ここにスティックがある」。私はホテルに戻った。「ふざけるな」という感じだった。
AB:では、彼と一緒に三か月のツアーに出て、アメリカに帰ってきてから、あなたの演奏に文句を言った訳ですね?
EJ:そう! 突然にね。
AB:それで、何か別のことがあったのではないかと?
EJ:ああ、そうなんだ、それがなんなのか何も分からない。多くの人は、ただまっすぐにはなれない、複雑な道を通らなけりゃならないんだ。
AB:なるほど、それであの歴史的録音「ヴィレッジ・ヴァンガード・ライヴ」まで行くわけですね。1957 年 11 月ですね。その日付は分かっています、ここにあります。「エルヴィン・ジョーンズ、ソニー・ロリンズ、ライブ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード、1957 年 11 月」。そのあとどうなったんですか? 私はジョーンジズの『ジョーンズ・ブラザーズ(Keepin' Up with the Joneses)』を持っていて、これはそのすぐあと、58 年の 3 月です[*12]。じつは今年 3 月 24 日に買ったんです。では、このレコーディングまでに、ヴァンガードのレコーディング、あなたは録音されるとは知らなかったわけですが、それ以外に何かレコーディングしたのですか? ほかの人たちと演奏していた時期はありましたか?
EJ:いや……取り立てて記憶にないんだ。ペッパー・アダムスが街にいたし、ドナルド・バードとか、そういう連中と演奏してたんだな。ギグが決まったら呼んでくれた。そんな感じだった。
AB:つまりデトロイトの人たちと連絡を取り合ってたんですね?
EJ:うん、そうだ。
AB:ええと、ですので、もう少し前でしょうかね、ケニー・バレルとのレコーディングを行なってます[*13]。ペッパー・アダムスとのレコーディングも行なってますから[*14]、だいたいこの頃なんだろうと思います。
[…]
*1:途中から訳してるので唐突ですが、もちろん兄のハンク・ジョーンズということですね。
*2:うーん、けっきょく何が「勉強になった」のかよく分からない(笑)。色んな音楽をやったということか。
*3:
(1956年07月24・25、27日録音)en.wikipedia.org
(1957年01月29、31、05月14日録音)en.wikipedia.org
ちなみに上のリンク先にもあるように、スタジオは《チャーチ》こと有名な 30 番街スタジオの間違いですね 52 番街と混線? 書き起こしのほうのミスかもですが。
*4:『ヴィレッジ・ヴァンガード』オープニングの「オールド・デビル・ムーン」は、上掲『ダイアル J. J. 5』ではラストナンバー。エルヴィンが言ってたようにアレンジもしゃれていて、こちらも好きなんですよね。スタジオ盤でドラムのミックスも低く、ロリンズのライヴのような押し出しの強さはないですが。
*5:前のほうで、船はあまり好きではないので海軍は志望しなかったと述べていた(p.17)。
*6:艦船接頭辞 SS は蒸気船(Steam Ship)。なお、下記によれば大西洋路線でジェット旅客機が初めて運行されたのは 1958 年 10 月になってから。
*7:『クインテット・ライヴ・イン・アムステルダム 1957(What's New - Jazz at the Concertgebouw)』(2009)のベルト・ヴァウシェ(Bert Vuijsje)によるライナーノーツには、「ストックホルムでのオープニング・コンサートには 20,000 人以上の観客」とある。また、ツアーは毎公演 4,000 の観客が集まったと J. J. が『ダウンビート』誌にレポート(後述 *9 Discogs 記事リンク先掲載写真参照)。
*8:このころボビー・ジャスパー名義の吹き込みにも参加していた模様。リズムセクション三人揃ってはいないが、フラナガンやリトルも参加。
(1956年11月12・14日録音)www.discogs.com
(1957年05月23・28日録音)www.discogs.com
余談だが、ジャスパーは上掲 Tenor and Flute の前々月、三月にはプレスティッジに『インタープレイ・フォー・2 トランペッツ & 2 テナーズ』をコルトレーンやマル・ウォルドロンらと吹き込み、コルトレーンはウォルドロン作の「ソウル・アイズ」をこのとき初録音してるんですな。四月にはマイルスのバンドをクビになる。
(1957年03月22日録音)en.wikipedia.org
その後のマイルスをもう少し追っかけると、コルトレーンに替えてソニー・ロリンズ、フィリー・ジョー・ジョーンズに替えてアート・テイラーを入れ、レッド・ガーランド、ポール・チェンバースとともにカフェ・ボヘミアへ出演。九月末までの予定だったがマイルスの手術で中断し、その間にロリンズが脱退。マイルスは替わりにジャスパーを入れ、ガーランドに替えてフラナガンも加えている。ちょうど J. J. との北欧ツアーから帰国したタイミングということになり、ここでテイラーに替わってジミー・コブも入ったらしいが直ぐに抜けフィリー・ジョーが復帰、十月にはこのメンバーでバードランドに出演した。ヴィレッジ・ヴァンガードにはロリンズが出演中で、その最終日のセットが当盤『夜』に収められた。十一月末にマイルスは『死刑台のエレベーター』録音などで単身渡仏。
この時系列みてますと、このあとフィリー・ジョーはまたクビになったりするわけで、ワンチャン、エルヴィンもマイルスのバンドに加わる可能性あったような気も? 定着して『カインド・オブ・ブルー』でエルヴィンというのも、なんか合わないような気はしますが。なお、前回記事でちらっと触れたがエルヴィンはデトロイト時代、マイルスが来訪したさいにすでに共演、ミンガスのレーベル、デビュー・レコードにマイルスが吹き込んだ下記の録音もある。
(1955年07月09日録音)en.wikipedia.org
*9:「コペンハーゲンから始ま」り「二、三日演奏したあと」( by エルヴィン)、6 月 13 日にストックホルムへ到着、翌日には下記収録のラジオに出演(「イン・スウェーデン」と題されているが、このあと言及していたフィラデルフィア近郊のレッド・ヒル・インでの演奏も収録されている模様)、
(1957年06月13日録音)www.discogs.com
フラナガン『オーヴァーシーズ』のレコーディングは渡欧前から予定されており、スウェーデンでの日程の最後だったらしい。
(1957年08月15日録音)en.wikipedia.org
その後オランダに渡り、アムステルダムのコンセルトヘボウ、
(1957年08月17日録音)www.discogs.com
ベルギーでの TV 出演を経て、ドイツ、フランクフルトのストーリーヴィルに出演中、「急遽」帰国したとの由。以上、上掲『イン・スウェーデン 1957』ライナーノーツによる下記記事を参照した。
*10:蛇足ながら、アンソニー・ブラウンはこのあとも繰り返しているが、アルバム・タイトルを言っているのなら当然『ア・ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード(A Night At The "Village Vanguard")』。
*11:《ナゾのベーシスト》ドナルド・ベイリーについてはそのままスルー(エルヴィンも何ごともないかのようにベイリーに触れていましたが——ん、「ナゾ」でもない?)。
*12:
(1958年03月24日録音)
*13:
(1957年01月01日録音)en.wikipedia.org
*14:
(1957年11月19日録音)en.wikipedia.org
(1958年03月25日録音)en.wikipedia.org