dancept2の日記

あやしうこそものぐるほしけれ

シェーンベルク指揮 CSO によるマーラー『復活』第二楽章(1934年)

"CSO" とはシカゴ響ではなく、キャデラック交響楽団(Cadillac Symphony Orchestra)である。

盛大なノイズに貧弱な響き、途中記録ディスク交換のためと思しき欠落部分もある。そこから当方勝手にブーレーズのような分析的、あるいはリヒャルト・シュトラウスのような冷静な演奏が立ち上がってくるのを想像したのだが、だいぶ様子が違う。ゆっくりとしたパートなど意外なほどたっぷりと歌わせたウィーン風味(?)の演奏が聴きとれる。

1934年ロサンゼルスとあるが、コメントにあるとおりニューヨークでの演奏らしい。シェーンベルクてロスのイメージだったが、渡米したころはボストンのマルキン音楽院(Malkin Conservatory of Music)で教鞭を取っていたと。キャデラック響とは NBC のラジオ局、ブルーネットワークのオーケストラのことで *1 、当時は放送番組のスポンサー名をオケに冠することがよく行なわれていたとある。

YouTube は七年前のアップだが、2016年にマーク・オバート=ソーン(Mark Obert-Thorn、そちら方面では高名なお方なんですね)の手によるマスタリングでヒストリカル録音の復刻レーベル、プリスティン・クラシカル(Pristine Classical)がリリースしていた模様。カップリングはケンペン指揮ヒルフェルスム放送フィルの4番。下記リンクは同レーベルのホームページのカタログページ。オケの名称の件などこちらの記事でも言及されている。

シェーンベルク、ケンペンのマーラー・レアリティーズ:交響曲第2番&第4番(1934年/50年)- PASC466」(プリスティン・クラシカル)下記は上掲より、ハントリー・デント(Huntley Dent)による『ファンファーレ(Fanfare)』誌40巻1号(2016年9/10月号)のレビューから。

シェーンベルクアメリカに来たばかりであり、彼の恐ろしい評判にもかかわらず、我々は彼を「著名な作曲家」と呼ぶミルトン・クロス(Milton Cross)によるラジオ紹介を耳にする。

恐ろしい評判(笑)。1934年のアメリカでは、本人はおろかマーラーですらまだそれほど受容されていなかっただろう。この絶好の機会(?)に、自作とともにこの曲(の第二楽章)を取り上げた意図はなんだったのか興味深いところですね。

自作というのはメゾ・ソプラノのローズ・バンプトン独唱による『グレの歌』から「山鳩の歌」で、さすがにそれよりあとの曲では「恐ろしい評判」になると局の人間から止められたのか(笑)。『グレの歌』と『復活』であれば収まりはいいですね。下記ウィーンのシェーンベルク・センターのアーカイブでどちらも公開されている。1928年ベルリンでの自身の指揮による『浄められた夜』もあった(オケ不明)。www.schoenberg.at

"The Classical Music Guide Forums" のこちらのアーティクル(2011年8月4日)によれば、もともとシェーンベルク・センターのアーカイブには YouTube のとおり1934年ロサンゼルスとの記載があったようで(音源も同センターのかも)、フォーラムへの投稿者がアーティクルに投稿した情報をセンターにメールしたとあり、現在は1934年4月8日ニューヨークとなっている( "Slipped Disc" のこちらのコメントよれば4月8日放送とあるがセンターでは明記されていない)。

上記コメントのリンク先に、ボストン時代のシェーンベルクに関する地元紙による記事があった。もともとマルキン音楽院に招聘されて渡米したということらしい(1933年)*2 。ボストン響を「すばらしく良い(extraordinarily good)」と褒めるいっぽう、クーセヴィツキーについては「スコアを読むことさえできないほど無知」と書き残しているそうな。北東部の寒さはこたえたようで喘息と気管支炎に苦しみ、1934年秋には気候の良いロスに移ったとある。

シェーンベルクのボストン時代を呼び覚ます - ボストングローブ」


*1:のちに ABC はこの局から独立したらしい。なお、NBC 響の設立はこの三年後1937年。

*2:シェーンベルクアメリカに招聘したチェリストのジョセフ・マルキンについては下記(1910年のシューマントロイメライ」)の説明文に詳しい。